ニセただし の削除コメント

十数年前、朝まで生テレビで小林先生を見ていました。断言する司会者・田原総一朗から一目置かれている、この漫画家さんはどういう人なのだろう。弁の立つ姜尚中や山本一太、村田晃嗣や宮崎哲弥などから一目置かれている、この漫画家さんは何者なのだろう。そんな風に思いながら見ていました。

子供の頃にジャンプで見ていた【東大一直線】の作者だという事は知っていました。それ以降、先生の作品は読んでおりませんでした。
初めてお顔を拝見したのが、オウム事件の頃。暗殺されかかった漫画家としてワイドショーに出られている時でした。周りに愛想など振りまかず、ハッキリと話をされる威厳のあるお姿と、優しそうな声が印象的でした。
オウムを描いた【ゴー宣】も画面に映ったのですが、【東大一直線】の頃とは雰囲気の違う絵柄に見え、少し驚き、興味を覚えました。
オウムや薬害エイズ、教科書運動の頃は、あまりテレビを見なかった為、先生を見たのは、その一度きりでした。

朝生では、田原総一朗の対岸に座る格のある姿と存在感に、先生への興味が増して行きました。ある日、書店で先生のコーナーを見つけ、手にしたのが【よしりん戦記】と【戦争論】。…踵を返しBOOKOFFで再び手にした【よしりん戦記】と【戦争論】。
【よしりん戦記】に感動し、【戦争論】に衝撃を受けました。こんなに物凄い人が、この世に居たのかと驚きました。目から鱗がボロボロ落ちる様でした。時間を忘れて読み耽りました。あそこまで時間を忘れたのは……、ケータイでネットにハマった以来です。

それからは、BOOKOFFで【ゴー宣シリーズ】を集めては読み耽り、朝生を録画して先生の所だけ何度も巻き戻してはウンウン頷きながら見るという生活が、しばらく続きました。
【ゴー宣】を読む様になってからという気もするし、初めて番組を見た時からという気もするし……そこら辺が定かではないのですが、この頃の朝生での、話の説得力は、小林先生が郡を抜いていたと思います。
まず、話が解り易い。妙なプライドを持たない。人の話を聞く。話を混ぜっ返さない。陣営で固まらない。何か、ズルくない。そんな理由からなのか、話が頭の中にスルスル入って来るし、話を聞いているのが気持ち良い。これが断言や方言だったら、あの気持ち良さは味わえないでしょう。

ようやく時代に追い付き、BOOKOFFも卒業し、書店で【わしズム】バックナンバーをお取り寄せする様になった頃……、もう一度読みたくなり【ゴー宣】を読み返しました。そうすると、 言葉の意味を履き違えていた事や、実は理解していなかった事、また今なら理解出来ると思う事など、新たな発見がありました。先生の作品は、読む毎に頭の中身が鍛えられて行き、頭がスッキリして行く様な感覚があります。
それに比べ無責任な断言などを聞かされると、腹が立つは気分が悪くなるは頭がおかしくなりそうになるは…、最悪です。

先生に、“公”という観念・感覚・価値観を教えて頂けなければ、私は今まで、生きて来られたのだろうかと思う事があります。ヤバい時に心の拠り所となり、生への力を与えて貰い、生き甲斐を与えて貰いました。公を意識する事で、強さと優しさが身に付いて行った様に思います。
先生の言葉の背景には公が見える。ただの暴言・方言の後ろには私しか見えない。先生をネトウヨの生みの親だと言ったり、暴言・方言を溢れさせた張本人だと言う人は、公とは何なのかを解っていないのだと思います。

日時
2015-10
投稿者
ニセただし
記事
「断言主義から放言主義へ」小林よしのりライジング Vol.152
No.
96