西洋社会は罪の文化、日本社会は恥の文化だとされます。世間の目を気にして、ばれたら恥だからカッコ悪いことはやらない程度の認識の日本人より、一神教の神との契約に基づき罪を意識して生きる西洋キリスト者の方が高尚だと言うのが、ベネディクト女史の言い分です。前者が道徳に該当し後者が倫理に該当するというのは非常に乱暴な区分ですが、これも一つの見方です。
西洋人によって低劣だと決めつけられた日本人の道徳ですが、この道徳にも種類があると考えています。世間様に対して恥ずかしい真似はできないという空間軸の道徳と、ご先祖様に対して恥になることはできないという時間軸の道徳です。この時間軸の道徳は膨大な数の死者全体を意識すればカミ様やお天道様が対象に成り、西洋キリスト者の倫理に近づきます。
また同時に、空間軸の道徳もバカにできないと考えます。恥や汚名を雪ぐには死をもって為す必要が生じる場合があるからです。武士の時代には切腹の文化があり、死んで詫びるという行き方は現在も残っています。政治家や経営者の自殺のニュースは現代日本でも時々聞かれます。死ぬほどでもない逃げの自殺があるのも事実ですが、それでも文化として残っているわけです。この死を持って恥を雪ぐ日本の行き方は、免罪符を買ったり教誨師に告白すれば許される程度の西洋の行き方より、果たして低劣だと言えるのでしょうか。
この道徳も共同体が機能しなければ意味を為さない na85