時浦さんが紹介してくれた門弟さんの「戦後は道徳心がなくなった。WGIPの結果」について考えてみました。
戦後の日本をリードした吉田茂は帝国憲法の体制で育ち、日露戦争からの日本の栄光を肌で感じている人間です。その立派な先人たちが作り上げた体制を破壊しようとしたのが革新勢力である軍部だ!と
軍部とりわけ陸軍に対して反感を持ってました。
吉田個人としては軍部勢力は消滅したし、帝国憲法体制で民主主義は実現できると思っていた。
しかし、やむなく日本国憲法を受け入れた。
吉田は日本国憲法を戦勝国との条約と見ており、日本が国際社会に復帰する条件である。九条は日本が侵略国家と見なされない為に必要であったと言っています。
さて、朝鮮での戦争が拡大し、アメリカは日本に対して再軍備を要求していきました。ダレスはアメリカからそんな要求を出せば、日本は泣いて喜ぶだろうと考えていましたが、吉田の反応は冷淡でした。
「今の日本の経済力を考えたら、再軍備は不可能だ。近代戦争を遂行できない軍隊は金食い虫になるしかない。また、そのせいで復興が遅れると共産勢力が力を増す」とダレスの要求を跳ねのけました。
マッカーサーの協力もあり、再軍備は回避できたに見えましたが、自衛隊の前身である保安隊は作り、
日本は独立を回復しました。
吉田は独立回復後も憲法改正には消極的でした。
戦争の傷跡が癒えていない。経済力の問題とうとう。しかし、それは当時の日本の状態からの判断であり、現在のような経済大国の状態ならば
吉田は積極的に再軍備を主張したでしょう。
吉田自体はこのことに関しては後悔の念があったそうです。
また、晩年に『世界と日本』という本でこう書いています。
「最近、自衛隊が風水害、雪害などの災害救助に出勤し、関係地方民からもちろん、一般国民からその功と労とを多とされていることは、まことに喜ぶべきことである。しかし、災害出勤は自衛隊の任務の一つであっても、それは決して自衛隊存在理由の本筋ではない」
つまり、自衛隊が単なるレスキュー部隊とされて、
本来の暴力装置として見なされないことを「恐れる」と言っているのです。
先生が戦争論、国防論で描いてきたことは、明治生まれの吉田茂はちゃんと認識できていたのです。
この吉田のような世代はGHQの占領政策を利用することはあっても、道徳的に毒されてはいないと思います。
問題は戦争に行き、地獄を見て、青春を軍国主義時代で過ごしてきた世代です。
この世代は、戦前の制度を吉田のように良し悪しで判断することはなく、自己を抑圧した体制、制度とみる傾向が強い人がいます(司馬遼太郎、ナベツネ、水木しげる、三國連太郎など)
どのくらいの割合かは分かりませんが、戦前の制度は良かったとは言わないでしょう。戦後にGHQによって作られた制度のほうが愛着があると思います。
門弟さんが書いていたGHQの占領政策にモロ当てはまるのは、これ以降の世代だと思います。
「戦前は軍国主義で悪い国であった」も「明治は良かった。昭和になると魔法にかかったように!」も
コインの裏表で戦前否定であることには変わりません。客観的に戦前について考察することができないのが僕を含めての世代ではないかと思います。
その反動で明治から戦前の制度は全部良かった!と盲信する輩も出てきて、天皇は男系絶対さらには強い国には原発を!と吠えています。
僕たちに今必要なことは正しい道徳心を身につける為にはGHQの占領政策とはどのようなものであったのかを冷静に判断すること。戦前を盲信、全否定するのではなく客観的な視点で見つめることが必要ではないかと確信しています。
その為には忘れられた志士たちの物語である大東亜論を読むのは道徳を鍛える上で絶対に必要です。
温故知新。過去を見つめることで未来が見えてくる。日本の進路が見えてきます。