め、めぇ〜
皇室論の売り切れで手に入らんとでしゅ。
忘れられた社会の片隅で涙する人を忘れて、皇室の現状に涙するなら、それは小説や映画の非現実の創作物で涙するのと変わらないと思います。
これを心得ないと、陛下の祈りも非現実な宗教的架空の抽象的行為におとしめます。陛下の祈りや願い、御志は、非現実の宗教的架空でしょうか?
特に陛下(皇室)の存在で、日本の祈りは現実の実際の目前の、自分達の心の現実になっています。これは神道と言う宗教と離れた日本の国体、日本人の国柄(心)そのものです。陛下(皇室)は、日本を心的世界と現実世界を一体にしてくださっていると心得ます。
社会の悲劇は多く、時間に速やかに流されて行きます。怒り続け、涙を流し続けられるものでも有りません。万人に死は迫りながら、怯えて生活出来無くなるのと同じです。
それでも、陛下(皇室)の祈りを見て、忘れられた人々を思わないのは、日本の国体、国柄を壊す事です。陛下(皇室)の祈りを現実のものとして考えず、宗教的儀式としてしか捉えず、祈りを現実のものと信じていないから、陛下の御言葉が憲法違反などと言う偏差値だけの高学歴の出て来ます。
茶々入れする意図は有りません。自分も大層な者では有りません。ただ、自戒を込めて、茶をいれるなら、表裏一体千家で無いといけないと思います。
祈りは、かなわなければ無になるのではなく、祈る事自体で、陛下(皇室)は祈りを現成してくださっています。