丑三 やギ の削除コメント


め、めぇ〜

毎度、うざかで、しゅみまっしぇん。連投ごめんしゃい。

本編で、先生ぴゃんちゃまが「本を読まなければ確実に感情が劣化する、だから本は読まなければならない」と申されていました。

これは学校が、特に高校、大学が教育が出来ていない現状だと思いました。ただ、詰め込むだけで人間性を高めさせられていないのです。暗記情報の伝達だけになっています。カルトや、これと同等の右ヨタろーや、左ヨタろーが「有識者を含めて」多くなるはずです。

だから公正無私になって(これ渡辺昇一しゃんの信念でしゅ。)ここに集う大部分の人達のように、異質な考えでも柔軟になって色々な論考を読むしかないです。

左を読めば、右も読む、上を見れば、下も見る。そうして相互いに反する考えを摂取しながら、道理というものを捉えていくのが読書です。上下左右の中から、真ん中を見つけて行くしか無いです。嫌な言いましですの自己教育しか無いのが現状です。

先生ぴゃんちゃまが誤解されやすいのでは無く、左右極端な見方しか出来ない無頭脳が誤解していると思います。誤解「されている」のでは無く、誤解「している」のだと思います。

左右極端な見方しか出来ない無頭脳だから、道理を説いても解らない、反省も出来ずに、誤りを認められ無い。変われ無いから、成長も出来無いのだと思います。

学校が暗記主義なら、自分で読書するしか有りません。それには相当の時間が要ります。先生ぴゃんちゃまは、論考を漫画で書いているから、そうしながら銭稼ぎが出来て良いと、うらやましがる人もおいでかも知れません。

それは違うのは、先生ぴゃんちゃまの嘆きで、先生ぴゃんちゃまの読者が一番にわかっています。労働者になると、読書が全く思うに任せず、読書皆無も、当たり前です。

学生なら、本来は、その時間が確保されているべきです。しかし、学校に行きながら労働するのは大変です。学校時代が暗記情報だけで終わってしまいます。

学生だったら、充実した奨学金で、出来れば返財無しで、無償で労働から解放されているのが本来の理想です。

読書しないと言う学生がいたら、奨学制度なんて、税金でやってあげないっ、と言う先生ぴゃんちゃまの言い分は妥当です。

上の事から考えると、学校に行っていなくても、公正無私で読書して、変わって行ける人は「有識者よりも」有識者で有るはずになります。傲慢かまして、これを周知してしまったのが先生ぴゃんちゃまです。偉大や。

投書のように、読書は趣味では有りません。これは、楽器やスポーツと同じように小説だけを読んでいる人です。人間とは何かに目覚める気概の有る人なら、論考を読み始めるはずです。自己教育せずにいられないはずです。

法曹のような専門家で無くても、道理の解る人になれば、それぞれの職業に就いてから、その方面から人間を洞察していくようになると思います。

こうして社会を形成すれば、ぼんくら(要早口)右ヨタろーや、ぼんくら(要早口)左ヨタろーは減り、a baby ん にゃろみたいな者は、表に出て来れないはずです。

社会人による社会の多面性、社会の現場主義な、皆、机上の空論にさせず、人間向上化の社会補完計画でしゅ。傲慢かます、先生ぴゃんちゃま計画でしゅ。しゅのか。

人間が人間の事を考えるのですから、人工の所産である文化を配慮さえすれば、相対主義では無い人間の価値は一本化は可能なはずです。

人間は共通しています。オリジナルな独自の考えが在るはずと思っているのは違うと思います。たくさんの価値観のひな型は、長い歴史の中で言い尽くされて来ました。それを摂取して、成長するのが人間で有り文明と思います。この考えも、自分独自のものでは有りません。

本当は義務教育を過ぎたら、歴史の中の膨大な多方面の論考を、議論昇華する教育機関に学校を改革すべきと思います。全ては人間が人間の為にする事ですから、相対主義に落ち入らずに、一つの筋の通った考えに持っていけるはずです。しかし、同じ主旨の国会でも、あの惨状です。幅広い読書は、何時の時代でも必要です。

アラブの大富豪が、秋葉原でカメラを値切っていました。(テレビで、みなしゃん知っちょりましゅか)こいも文明でしゅか。

日時
2017-03-17 03:49
投稿者
丑三 やギ
記事
「官邸の“籠池潰し”で幕引きさせるな!」小林よしのりライジング Vol.216
No.
65