全国展開のゴー宣道場とは、社会生活の中で現場を持って『観念的に没入せず』責任有る人達が集まるものと思います。
そして、論理と情理の『整合』を求めて『議論興隆から』参加者が『それぞれに』道理を明確にして行こうとするものでもあります。
こうして、各々が社会で道理を生活に活かす事で『常識的に』道理の通る世にしたいと言う『自主活動』だと思います。
『自主的に』『ただ』先生方を御招きする『だけで』運動でも、強制でも、上意下達でも無く、保守堕落、共産運動でも『無い点』を見逃してはならないと思います。
全国展開のゴー宣道場は『恣意的で無く、全くの自主の結果』と思います。ここに『ゴー宣道場の意義』が在ると思います。恣意的なら無い方が良いと考えます。
自主活動の問題は、自主運営で解決すべきと思います。自主運営を飛び越えて、先生方に自治の判断を仰ぐのは、ゴー宣道場根幹の破壊と思います。僭越ながら、こう理解しています。
めぇ
猫頭巾しゃんば、三味線の皮にしぇんといちね。