先日の NHK 番組のよしりん先生の評価は、高森先生に遠慮した ぼぐの感想を業伏する大魔王炎でした。幼い時分から御不動さんの前で昼寝していたから、そうですよね。
(ごうぷく と読むよ、降伏と同じね。)
昨年の御言葉で、素直に大御心を読み取れば、女性宮家創設と、愛子さま御直系の双系復権を、陛下が御望みなのは明らかです。これは、男系固執の害を考えれば、明確に正しい御判断です。
嫌義 ひでつぐちゃんは、憲法学者ながら、条文の教条主義のみです。法律は如何に人間の為に存在するか思った事もないと思います。
ひでつぐちゃんは、前世に関白まで上りながら、天皇の権威を着た権力者の叔父に裏切られたのがトラウマになっている「みたいな感じ」です。
(豊臣秀次参照。)
とよとミノ、いや、嫌義 ひでつぐちゃんは、権威と権力を混同しているか、権力より権威を恐れています。科学者が幽霊を恐れるのと同じで、権威を法律で縛れないのを理解しています。これが恐怖の根源でしょう。
ですから、天皇の権威に対する言い知れぬ恐怖を持っています。陛下も皇太子殿下も信用しない。これからの天皇全てを無理矢理、教条で縛り上げて置きたいのでしょう。
しかし、だからと言って、警戒すべきは絶対に権力の方であって、権威は、歴史を担った国民の(人間としての)原初の理想ですから、人間の心の働きを恐れて、どうするんだとなります。
ひでつぐちゃんも、台所のでぶちゃんも、学者として、人間として転倒しています。
番組で、隣の頭にたかったハエは、嫌義小屋か、不浄な台所から来たものです。過多嫌魔は殺気ちゃんだけで充分です。せっかくシューベルトみたいに額が前進して頭蓋が大きく見えているのですから、頭は働くと思います。あのビン底眼鏡の強烈個性を、男系固執の呪縛から解いてやれないかと思います。
片山杜秀氏と関係ある人は、先生ぴゃんちゃまの『天皇論』の感想をしつこく、しつこくツイッターとかで求めてみてください。『天皇論』を、どうしても開かせたいです。ひでつぐちゃんより読解力はあると信じます。
脱線します。
『天皇論』こいば ”知り” ー!!!でしゅ。
茶魔ちゃま語に応用しち見ましゅ。
「こいば 尻ー!!!」と言って、茶魔ちゃまが、わからず屋の顔に生尻アタックするのです。
実際は、米穴が触れて、相手は悶絶ちゅうな、どげんでしょう。良かでなかんやけんしょうか?
かぶってるかなあ?はばかりも有ります。
茶魔ちゃまの記憶は、らんまに抱かれた表紙で面白さを再確認して、いとこの持っているのを読んだくらいの けしからん やギでしゅ。
(でも、ひでつぐちゃん じゃないよ。)
御検討ば 鬼ヶ島ーしゅ。
心は、どうしたって法律で縛れません。人間社会が持つ因習は色々ある所、陛下の昨年の玉音放送で、日本人は、心の深部に食い込んでいる男尊女卑、家父長制度と言った、封建制の核となる陰湿な因習を除く流れになったと思います。これは、喫煙以上に社会的に滅殺すべき対象に変わりました。
脱独身おめでとうを嫌らしく思うのは、陛下の御言葉によって、封建的因習一掃が活発化して顕著になっていると捉えなければなりません。
陛下の御言葉で、もはや、男尊女卑、家父長制を支える封建的深層心理を一掃しなければ、日本は天皇制を維持出来ず、従って、日本の心の継承は失われるのです。
具体的人間価値である権威の象徴を失った日本人は、ひたすら合理的に、唯物的に価値を求めるようになって、資本主義、共産主義の権化の国と違いは無くなります。
テレビのワイドショーはもってのほか、私生活でも、この封建的因習心理は禁忌にすべきです。(禁煙と同じく)これを推進すべき総理の首と、提灯持ちのインチキ有識層は大問題です。まず、穢れた権力の首を変えないとなりません。あの面体を見るだけでも、公衆衛生に絶対よくないと思います。
日本に若い伊吹きがふいてこそ、国は美しくなると思います。道徳の教科書で心は絶対に伝えられないのです。
皇室は、日本の家元です。日本の心の相伝は、皇室の中だけに有るのであって、俗界から男系と「される」人を連れて来て、形だけ体裁を整えるのでは、心の相伝は有り得ません。技術ではないのです。技術でも、師が弟子に「教えろという前に、何故、盗もうとしないんだ。」と言います。自転車に乗るのだって、走行計算式を教えても乗れないのと同じです。