牛乳石鹸の宣伝が、炎上していると聞いて、いち家畜として興味を持ちました。実際に、視て見ると、炎上するほどでも無かんに、と思いました。等身大の登場人物で分かりやすかった為に、庶民の劣等感や、日頃の鬱憤など、色々と心が突っつかれたのだと思います。舛添ネズミの時と同じです。
この宣伝ドラマに、何故、それほど感情移入しなければならないのか不明です。気に触る部分は、作り物という冷めた感覚で、上手く流せないのでしょうか?
しかし、創作物は、皆、作り物ですから、作品に没入出来無ければ、創作(芸術)からの摂取が無意味になる思いも同時に有ります。
創作(芸術)からの摂取が、これだけ様々だと、国語の読み取り試験とか、美術系の採点とか、どうやるのでしょう。これに自分は、己の思いが否定されて苦労しました。正解とする答案例に、作家が、それは違うと抗議していたのも有りました。炎上した宣伝に文句を言う人の中には、国語試験で模範解答して、点数を取った人もいるはずです。これから道徳授業では、普段、人を邪険にしながら、模範解答だけする者が目に浮かびます。要は、技巧にこだわらず、好悪を先に立てず、素直に読み取ればよいと思います。
炎上した以上、時代の中の自分として、好悪から出来る限り離れて当否の分析をしたいです。もくれんさんの分析に違和感は無いです。
炎上は、今の思い、確信している価値観、考え方に固執したいのだと思います。言い換えれば、思い通りにならない世の中、せめて想像(創造)の世界では、こう在って欲しいという押し付けが、炎上の正体で有ると思います。シンゴジラ礼賛と似ています。虚構なのに現実以上に反応して、おかしいです。
この点、トランプや安倍信仰と似ています。理想を追求するなら、現実の地に立って考えるべきです。ぼぐも時々、頭が一つに集中して視野狭窄すると、一気に向かって行ってしまいます。突っかかり牛です。ネットには、人間をそのようにさせる作用が有ります。確かに、共喰い野郎、植松聖 症候群になりやすいです。注意です。
安倍晋三の支持率急落は、此奴の魔性に国民の多くが気付いたのは確かです。ひいき筋の右ヨタろーは、勝手な理屈を作るなです。およそ人の魔性とは非常識にまとまります。爪を赤くして十センチくらい伸ばして腕を振られて、街中を歩かれると危ないのと同じです。みんな地だらけ地獄になります。
これまで支持率が高かったのは、第一次安倍崩壊から何年か経って、現実世界で落ちぶれて、急速に増えた右ヨタろーが、劣等感を愛国で肩代わりさせて、晋三魔の醜い舌に偏って、喧伝した腐敗の成果です。無思慮でも正義は確実の感覚で、お山の大将になろうとした成れの果てです。このまま行くと、本当に危ないので、常識民の常識が働いただけが真実なのは、本当に、そう思います。
牛乳石鹸の広告に目くじら立てるより、安倍晋三や柴山昌彦ども、日本会議連中、神社本庁、偽装極左の右ヨタろーに目くじらを立てた方が有意義です。
柴山(安倍ども)は、陛下に何故、想いを馳せられないのか?まさに、情緒が欠如しています。こう言う不人情、無頭脳には、後ろから頭を低くして、ツノ向けてドーン!してやろうかな。モウッ!
(お子さんのいきなりドーン!には気を付けてね。)