朝に、朝鮮人虐殺犠牲者追悼文を、小池ぶりっ子が、取り止めたと知って、これはひどいと思っていたのも束の間、知的障碍者支援高での、部活しごき事件を知って、小池の下賤を忘れている己が居ました。
芥がーさんが自死前に
『僕が罪を犯した為に地獄へ堕ちた一人に違いない。』が解る気がしました。人は知らぬ間に、罪過に堕ちています。一年前に、青森で電車の車輪で、自ら挽肉になった少女は、性悪根性の説過の無ければ、盆踊りの愛らしい姿のままでした。その写真まで、権力の保身で穢されました。
こんな事を言っても自意識過剰ですけれども、無頭脳、下賤で、不人情な考え無しほど吐き気のするものは有りません。これが、己にも有るのです。人の苦に見向きもしない者、毒付かなければいられない性根は、人に毒を盛って死ぬなと言っているに等しいです。
この世は残忍であふれています。人に命の重さを語るには、まず権力悪に対峙しなければ、物申す資格は無しです。そうでない善の押し付け教条は醜いです。それで立とうとしても立ち上がれない人がいます。
死ぬくらいなら逃げればいいが出来ない理由の本が流行っています。社会が逃げ場を奪い、行き場を無くしておきながら、逃げても生きろとは、どういう善なのか?他人の命など、どうでもよい人間の妄言でしかないです。
社会的責任を考えず、自己責任と言って、全部、個人の責任にするのは無理が有ります。個人に責任が無いとは言いません。ただ、社会の一人として、己にも残忍な性根が有る事を自覚したいです。呑気な家畜は、また、やらかすでしょう。