日野皓正について、こちらと関係が薄いので最後にします。
しごき根性は、戦前錯誤、右ヨタろーのファシズムと捉えています。戸塚ヨットスクールを再興させた石原晋太郎に代表されます。しごきと別にして、日野皓正の壇上ビンタは、公私混同の暴力です。冷静に平穏収集を図ってもらいたかったです。
しかし、巷で言われるように、学生ドラマーの目立ちたがりと、自己ピーアールの為で有れば、オーケストラの公の私的利用です。怒りが向くのは当たり前。この当たり前をわかって無いはずは有りません。
かく言う己も、この当たり前を認識しながら、図々しく藁にもすがる思いで、この場を私的利用しました。一番にしか書け無いので、休みを取って、一日中、画面に張り付いて、血走る目でリロードボタンを押していました。誰か目を向けてくれれば良いと、ほんの少しの可能性を求めていました。溺れながら、しがみついて、他人を溺死させるようなものです。これで、ぶっ飛ばされて、ひっぺがされて、独り溺れ死んだとして、文句が言え無いと考えていました。公共機関による殺人幇助に繋がる疑獄ですが、迷惑、敵視されて当然です。
そして、張り飛ばしたい気持ちも分かります。性根の垂れ下がった右ヨタろーや、安倍晋三の垂れ下がった頰を何回、張り飛ばして揺らしたいと思った事か。
ビンタ事件の可能性として、学生ドラマーの私的行為が露見すれば、ネットの性質から、学生ドラマーが炎上する可能性は大きいです。日野皓正が黙秘しているのは、ビンタをした自分の反省と、ドラマー学生を思いやってからかも知れません。事実が私的利用なら、情状酌量の意見も大きくなります。
この事件で、裏取り不十分で突っ込んだ闘牛根性の自分は、白黒二元しか無い右ヨタろーと、習性を同じくする家畜野郎となります。井上、枝野先生の道場で、右ヨタろー気質を己で書いた事が、己にも当てはまると言う事です。
男尊女卑については、もくれんさんの通り、バランスを保てば良いと思います。型にはめるのは、いやよ。
これは、日頃、非道な事をしながら、道徳授業で模範解答をする下賤と違います。人間性に反していない限り、道徳にも個人の特殊な事情は出て来ます。そうでなくて、これは絶対と当てはめるのは、宗教のしつこい勧誘のようで、よくないと思います。
熱い湯風呂は、江戸っ子じいさんの自由で良いです。よしりん先生が、じいさんに憧れているからと、熱い風呂に痩せ我慢するのは無理でしょう。お肌が絹のようにスベスベで、モッチリ過ぎています。
夏は涼しい、冬は暖かい美味しいもので、茶魔ちゃまな感じが、よしりん先生らしいです。腹の中まで、濁りを失くすのはカルトに任せたいです。