人間は、その時代や、風潮に過ぎない価値観に如何に流されてしまうかが「オドレラ正気か」で分かりました。深刻になると思いきや、大変明るく楽しい雰囲気で、さすがエンターテイナーの御二人です。
原始仏教では、その初期に女性の入門が禁じられていました。すぐ後に可能になりました。日本に仏教が伝わって、男女平等を説いた昔の高僧も、その時代制度と価値観から逃れられない一面が有りました。しかし、これは言葉狩りのようなものになってしまいます。現代では、差別を無くす為に、程度を考えて、言葉は見直さなければなりません。同時に、文明が更に開けたのですから、普遍的で分別有る価値観を考えなければならないのでした。
人間は、見晴らしの良い所に立っているつもりでも、知らぬうちに縛られる価値観の束縛に注意ですね。宝塚のような純潔な恋に憧れるからと、他者に強制的に当てはめてはいけません。やがて、その強制感は、国家を歌っているか、舌の向こうを覗こうとし始めます。こうした心は、未来を見果たせず、一つ覚えの皇室典範第一条に固執する原理主義者などのカルトになります。このカルト心情を銭に変えるのが、一部の報道社です。この銭変換は、無頭脳、不人情の堕落した権力に使ってもらいたいものです。
誰もが見晴らしの良い所にいるつもりでも、高い所の好いとぉ やギでさえ、全ての谷底を知りません。良い先生や、書物に出会い、伝えあい、みんなで谷底の川を転がって、だんだん丸い石になりたいものです。
山尾氏の凋落は、民進党に期待をしていただけ有って、みなさんの失望が怒りに変わった点も考慮に入れたいです。瞬間忿怒は、闘牛的視野狭窄になってしまいます。しかし、よしりん、もくれん先生の生放送で、冷静さを(己も含めて)取り戻せた人も多いと思います。感謝です。
人間は高い見晴らしの良い所にいる錯覚は注意したいです。山より更に上を行って、早く空を飛ぶジェット機は、空から地上を見て、自分が何処を飛んでいるのか分からないと聞いた事が有ります。巨大なスポーツ会場の真上を、色煙を出しながら、演出で飛ばなければならないのに、なかなか難しいと言う事です。
勉強して、俗人より物見高いと思っていても、常に、時代や風潮の価値観の束縛や、見落としに注意したいです。視野狭窄は、理念を求める人間にとって、油断ならない習性と思います。諫言、痛み入っております。
山尾氏の凋落といっても、民進党の新代表では、力の発揮は困難と言うか難しくなっています。何とか塞翁が馬に転じてもらいたいです。
フランスの元大統領のオーランドは、国賓歓迎式典で、内縁関係の女性を陛下に紹介しました。陛下は、すでに八つ墓村的因習には興味は無い御様子です。昭和で三船敏郎も、園遊会か何かで、内縁の女性を妻君にしてしまったと聞きます。ただ、八つ墓村的に不敬の反感は禁じ得ません。
それから放送中に感じました。民進党の代表選の真っ盛りに、コメントを取りたい記者たちが、激しく動き回っているのを感じない山尾、倉持両氏とは思えません。生放送で言及されていたかと思いますが、不倫の事実は頭に無かったので、一応配慮はしたものの、正々堂々と動かれ、週刊誌の銭変換に使われてしまったかと思います。
扉を閉じたら、すぐ既成事実決定とは短絡過ぎます。生放送でも、ちょこっと言われておりましたが、よしりん企画では、男同士が閉ざされた仕事場で狂乱していると記事に書くでしょうか。チーフ ピロいさんや、ポカQさん、宇津さん、口汚く下賤を罵るトッキーさんが!?同じようなスクープとなったら、笑われるだけです。