オウムの麻原が自分は悟ったとか、形の無い幸福に適用不可能な科学を適用する人が、私は、ブッダであっ〜〜〜るっと言ったら、モウ完全型で、成長する余地が無いです。
人間は、理念、希望をもって人生を歩み続けるのですから、成長し続けるのが人間ですね。そして、まだ成長し続ける可能性が在るからこそ、人間の尊厳は在ると思います。そして、世を去る寸前まで、これは在ります。
年寄りだろうと、身体障碍者であろうと、精神障碍者であろうと、例え、植物人間だろうと突然目覚める可能性は有りますし、五十六億七千万年後に弥勒仏が降りてこようと、過去の人の知性感性の成果である文化を基盤にして、更に成長の可能性が在ります。
この点を無視するなら、人間は生きる意味を失います。成長する可能性、希望、理念を忘れたくありません。これを見失ったら、人間で無くなります。
例え、日々同じ事を続けて行くだけでも、成長の可能性を生活に見ます。和紙を漉く、炭を焼く、豆腐を厳寒の中、作り続ける。皆、毎日、同じ事の繰り返しです。しかし、伊勢神宮の遷宮を、これからも続かせるべきと同じく、人間の生活は、必ず現場を支え、連綿と成長させて行く基盤なのは確実です。
古きものを脱いで、新しくなる可能性を踏みにじってはいけないと思います。
トンデモ見聞録は、まさに情報公開!政治の世界で、何でも秘密裏に行われるのはトンデモ無い事です。情報公開は絶対に必要です。官邸から、地方自治体まで、公僕が隠して、悪さのし放題です。これを、ひしひし感じました。公共事は、正常に公開するのが必須です。
また、現場に常に立っているつもりが無いと、皆、他人事になります。人と学び考えようとするなら、この当事者意識が必要に感じます。
これが無いと、全ては他人事、平和的無責任、性悪根性の悪巧みに加担する事になります。己の呑気を反省します。
しかし、いくら想像力を働かせても、相違が出て来ます。行き過ぎに注意して想像力は忘れたくないと思いました。
今回、現場の苦心の具体例に感謝します。電話のやりとりが、そのまま思考過程になっている点が、非常に参考にもなり、また面白かったです。