聖徳太子 十七条憲法の高森先生による講義に心打たれております。「和を以て」短くとも、こうした教えが、この やギ の目に再来するは、やギ 畜生にとって身に余る光栄です。最幼畜の頃以来でしょうか?現在、義務教育とやらで、このような講義をする教室は、どれほど有りましょうか?
今、無頭脳の集団によって、歴史で積み上げられて来た大善知識が全て崩されようとしています。
価値に形は無いのです。人間に対する誠実さの無い所に価値は存在しません。しかし、聖徳太子は、その最も根本の最重要を憲法の第一条に残してくださいました。謹んで供敬受け奉り、我が頭蓋の中の宝とし続けます。
安倍晋三に組し、真の知識からの忠告をないがしろにし、歴史によって洗い出された価値を捨てるなら、これまでの、あらゆる価値、しつけ、学道、徳道、芸道は無に帰します。
理念、すなわち、あらゆる全ての価値は人間が決めるもの、人間が存在して初めて価値は生じます。従って、全ての理念、価値は、人間性に則るべきものと、歴史経緯から学び、積み立てて来たはずです。その理念、価値を人間が律せずして、価値は守れません。
価値に対して誠実さの無い者の中に、また社会の中に価値は存在しないのです。無法、混沌、欲望にだけ従う下賤な鬼畜の地獄世界を目指しているとしか思えません。
価値は、法律に置き換えられています。法律は万能でないからこそ、法理念に則って、正当な熟議を経て、法を成立させたり、改変させたれしなければなりません。この前に、道徳が無ければ意味が有りません。法律は、知識、道徳を基盤にしています。
これを誠実に守り、公務すべき義務を公僕は負っています。服務の宣誓で誓った、この自らに課された道徳規範を破るなら、庶民の税金を使って、私利私欲保身の悪事がしたい放題です。日本国憲法以下、あらゆる法律を無効化する暴挙です。法治の根幹を台無しにする非常に悪質な犯罪と見なせる脱法行為です。
公僕の宣誓は、甲子園の宣誓より軽いのか!
一時的な信任に過ぎない公僕の、しかも首長が不誠実でいて許されると思うな!と言いたいです。罰則規定が無いからといって増長満でいるな!とも言いたいです。この反社会的、非人間的行為は必ず後世に残る!と断言します。
今、日本は、価値に対して物凄い大矛盾を企て、失敗して、自ら苦しみを生み出そうとしています。独裁によって、価値を無軌道に放り込んで、全てを台無しにしようとしています。
道理、論理、情理に反するものは駄目なものは駄目なのです。
神棚を物置にするかのような皇統の扱いも駄目なのです。臣籍降下して、すでに庶民に成り下がった者に皇位を取って着けても、歴史的価値が存在しない以上、偽札と同じなのです。その国の中央銀行が、偽札を刷ったらどうなるか?本物を刷り過ぎても価値は下がるというのに、どうするのか?あーたは、ツネひらちゃんなんですか!?
よしりん先生が歴史に根付いた価値を提唱したのに、読み取れない古谷ツネひらちゃんも駄目なのです。ツネひらちゃんは、トッキーさんにツネられて当然です。書いたものは残ります。ツネひらちゃんに価値を理解出来無かったと、歴史家からも軍配は上がらないでしょう。
ツネひらちゃんは、人を右ヨタろーの生みの親と言いながら、己から右ヨタろーに成り下がって、右ヨタろーを宣伝する矛盾の愚かを己で宣伝しています。真に哀れ!無残に哀れ!力一杯哀れ!ちぃかっぱ哀れ!ツネひらちゃん!
批判や駄めぇな事を今度から「ツネひらちゃん」「ツネる」とか代名詞として使う事にしますか。
やギ、己の事を棚に上げて言います。
「ツネひらちゃん」はツネひらちゃんだなぁ。