芸能、競技について詳しく無く、新聞の報道などを見た限りに置いて、遅ればせながら白鵬について書きます。
古代ローマにおいて奴隷の剣闘士達は、見世物の殺し合いで勝利したら解放されたといいます。しかし、戦い方が悪ければ、観衆から非難され、敗者と同じく殺されたと言います。
東京オリンピックでは、無差別級でオランダのアントン ヘーシングが、御家芸の日本を下し、金メダルを取った時、歓喜のあまり駆け寄ろうとした仲間達を制止して、畳から追い払ったと聞きます。その後の試合で、柔道精神に反する事をして反省もしています。
伝統と切り離しても、国の違いを越えて闘いに作法は有ります。東京五輪のヘーシングは、柔道の精神を理解していました。外人で異国に在っても、競技に込められた精神を理解出来るのです。
翻って白鵬は、日本に来て何年も経ち、日本語も達者で有るので、相撲の伝統美を理解していていいはずです。少なくとも悟っていなければいけません。親類の間でも、懸賞金を受け取る態度は悪評が有ります。自分も、これを見て品格に欠けると思います。横綱の所作では有りません。銭が一番の態度です。銭以上の価値の存在を思いもしないようです。
加えて、白鵬の今場所での「待った」の主張です。あれは録画を何回見ても「待った」になっていません。行司の軍配がついて、物言いがつかず、横綱の地位に在りながら、礼を失する事、この上無しです。
更に、日馬富士暴行現場にいた当事者に関わらず、己が全て解決すると言わんばかりに、勝手な発言をしたのは、品格を問う前に常識が有りません。
相撲を好きな人は、伝統美を合わせて観るのが好きな人が多くいると思います。やはり、相撲は神道の奉納から始まったものです。相撲が国技なのも、相撲を通じて日本人を観て、神道の総括者であらせられる陛下の国体を観るのだと思います。従って、横綱で有れば土俵上の言動に品格有るべきです。陛下を戴きながら、伝統美を軽くする考えが有るのは理解に苦しみます。
その品格に欠けているのは、安倍晋三と同じく、一強から来る傲慢に有ると断じざる負えません。此奴も、畏れ多くも陛下に内閣総理大臣を拝命されておきながら、公僕の服務の宣誓を忘れ、公僕としての道義も分別も無く、憲法を守る気無く、条文の隙間をくぐり抜ける脱法行為をして恥じません。白鵬が、安倍晋三に通じるとされても仕方無しです。
異国に来て尋常以上の努力して来たのは判ります。その分の実力で評価と地位は得ています。日本人力士と来日力士で、贔屓目に見る必要は有りません。
悪いものは因習として無くして行くべきです。しかし、伝統美は分けて残さなければなりません。安倍晋三を代表するように、日本人の道義が廃れて行く中では特に必要です。道義が軽くなって、安倍晋三のような者が、この日本に現れたとしか考えられません。伝統美に道義が含まれているのです。銭、損得に変えられ無いものです。それは、人間自体の崇高さを求めるものです。
これを国技をしている外国出身力士に求めてはなら無いのでしょうか?自分は、日本人力士にも平等に求めます。決して差別心から申すのでは有りません。
合理的にしろと言うなら、甲子園をドーム球場化した方が良いです。何故、プロ野球や、外国戦が他の競技でも多く有るのに、素人高校生の炎天下での球技が好まれるのか。考えれば判るはずです。