丑三 やギ の削除コメント


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難癖と言われても、懸賞金は授与されると言う謙虚さが必要だと思うのです。これは主観だから言うてもせんなき事です。主観で申し訳ないけど、奪い取るような仕草に謙虚さが見られ無いのです。

「待った」については、行事にも、物言いにも認められて無いので、曖昧とは言っても通りませんね。

日馬富士の暴行について話した白鵬は、相撲協会の一員だからこそ、調査も何も不確実な時点で話してはいけなかったと思うのです。何が咎め立てになるかで、力士代表としてふさわしく無くなる可能性が有ります。白鵬は、日馬富士を土俵に戻してやりたいとは言っていたものの、白鵬が全ての状況を話しただけでは全然救えませんでした。日本国籍も無い日馬富士は、事実上、相撲界から永久追放です。

相撲が、神事から始まって無いのは理解します。しかし、長い歴史の中で神道と関連づけられて来たから、横綱には注連縄と垂(しで)が付けられたと思います。それでも、相撲に伝統を感じてはいけ無いのでしょうか?

力士に強さが一番と言うのも判ります。しかし、横綱に抜群の強さと共に、品格が横綱審議会で問題になるのは何故でしょう?日馬富士に強さの有無が優先されれば、暴行事件で、刑事処分を受けて、けじめを付ければ土俵に戻れるのでは無いですか?しかし、問題になるのは日馬富士は社会人で有り、人で有り、横綱で有るから品格が取り上げられるのです。

意味不明な伝統美は、完全に主観ですから曖昧になります。難癖と言われても仕方が無いです。曖昧が難癖なら、立ち会いとか、相撲の競技としての曖昧さの規定を何とかしないとなりませんね。しかし、すでに土俵に両手を付けると言う規定に改善されています。それ以上に改善の余地は無いかと思います。

伝統美というのは、絵画や音楽のように論理で明快に出来ないものです。逆に、論理で言えない曖昧な所だからこそ伝統美と言えます。そこを観衆は判断するという事です。自分の意見は、その中の、たった一つです。てすさんの御意見も、その中の、たった一つです。伝統美を言えば、百家争論になります。今回は、単なる一意見に難癖と言われて、実に心外では有ります。伝統美は曖昧で有るゆえに、みんな言おうとすれば難癖になります。しかし、色々な意見や好みの有る中で、曖昧なものを主観で書いたのがいけませんでした。これでは、贔屓心も有って、最後には怒鳴り合いになっても収集が着きません。

それでも主観で思います。白鵬の懸賞金の取り方は、人に己の力を見せつけるようで謙虚さが無いです。実力が全てですから、これも有りでしょう。しかし、自分は横綱の強さとして淡々としていてもらいたいです。曖昧な伝統美にこだわる完全な主観です。内心の自由として許してください。

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合わせて申します。相撲は心技体とか言う伝統美とかで見る時代では無いのですね。人間理念の真善美の体現とか言うのも絵空事になってしまったのですね。実力本位、勝ち星が全てという事なのでしょうか。いや、そんな事は話されていないと判っています。しかし、そうだとすると、国技と言うより、その辺の競技と同じになってしまっていると言う事です。相撲を国技と言ってはならなくなっていると言う事でしょうか。能力主義の行く着く先に相撲は来たのでしょうか。寂しいものです。皇室にも、相撲に似て、何時か国民の統合の象徴とは言えない世も来るかもしれません。そうなると皇室は廃止した方が税金の安上がりになります。しかし、そうではなくして、伝統は極めて曖昧ですけれども、国民の共通認識を高めて守り、皇室が応えてくだされば、国民も襟を正しくして、国民で維持していかなければならないと思います。皇室は、国体としての国民の道義です。左ヨタろーが難癖、曖昧、意味不明と決め付けるものです。自分は、相撲に、これを求めてしまっています。いけない事でしょうか?

これでも寛大な目で見ているつもりです。暴行問題では、色々ややこしい事が入り込んでおります。物事の順序と筋を整理して決着をつけなければなりません。伝統美とかの曖昧なものは完全に抜かして。

日時
2017-11-30 01:23
投稿者
丑三 やギ
記事
「アイドルはルックス、政治家は能力」小林よしのりライジング Vol.247
No.
149