丑三 やギ の削除コメント


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理解しております。興味深かったのでモウしたのです。

辛辣な言葉の有りますね。

対案を出せについて、一般論に思う所を申します。

風刺は、一コマ漫画や川柳に見られるように、批判を描写したり、文字にして戯化して広く対案を喚起するものです。当然、対案を出さなければならないものでは無いと思います。

おぼっちゃまくんに風刺があって、それに反感を抱くのは、論理の整合性を心得ないから、風刺を風刺として受け止めず嫌になるのです。一撃で風刺でない非論理と判れば別です。

一方、漫画に政治性や現実性を伴わず、純粋に物語を楽しみたい気持ちは分かります。芸道は現実逃避で成立します。それで、現実に強制的に引き戻される舞台挨拶は好きでは有りません。

ただ、物語から現実性を完全に表さないものは、どれだけ存在するでしょうか。現実性と繋がっていなければ感動は出来ないと思います。よしりん作品は、もの言う漫画家の手によるものですから、風刺を入れるのは表現者としての自由です。

道場師範や、コメント欄では、風刺をこき下ろすのでは無く、批判が行われていると思います。批判を非難や罵倒と勘違いはいけないと思います。

批判は、議論において、批判として受け止め、応答説明すべきものです。

極論で例えます。

議論(話し合い)で提案をして、批判、反対意見が出た所で、対案を出せでは議論にならないのです。

こうした性根では、対案を出したら出したで、対案に承知しない、この提案で行くという形になります。

すると、対案を出した方からすれば、それでは承知しない、対案で行けとなります。

両者とも譲らなければ、両者とも己の言い分を強制しようとし、戦争(殺し合い)が始まるのです。己の言い分(提案)を通すには、専制、独裁、王政がいいというわけです。

つまり、対案を出せというのは、議論をしないという事です。考えを深めて、理解する経過を放棄する主義です。議論を軽んじ、多数決で決めてしまえというのも、形を変えた独裁専横に過ぎません。

これは、利益を被る強者には大変都合がよい独りよがりです。弱者に対する配慮は行われません。同時に、強者の不利益の結果を招く考察(予想)も配慮されません。

更に、独裁の結果、失敗したとしても、知らんふりになります。多数決なら、票を入れたみんなで責任を取れという無責任を政治屋はするでしょう。これが安倍晋三、橋下徹の性悪根生です。

議会制民主主義は、何故、生まれたか?強者から弱者まで社会全体が出来るだけ平等に公正に、未来を考えて失敗が無いように考えを深めて社会の進め方(政治)を決めようとする理念です。戦争、争い、暗殺横行は、醜く、みんな安心出来ません。これを避ける知恵が議論です。

強者の論理で弱者を痛めつける独裁をして、弱者が革命をして共産主義を理想にした歴史が有りますね。でも、主義一辺倒で、議論が無いから、失敗も続き、独善性から修正が困難で、平等と公正が実現出来ず、独裁で滅びたのです。

提案し、批判が生じたら反駁し、更に続けて考えを深め、発展させるべきが議論が、議会政治なのです。提案、批判、反駁、止揚、発展(アウフフーベン)が、真の議論政治というものです。より失敗を避け、修正が効く利点の有ります。

これは対案が出ても、同じ経過を辿らなければなりません。批判に対し、しっかりと返答せず『いきなり』対案を出せというのは、議会制にあって、議論を放棄する事で有り、民主主義といえども、放棄した議論政治は独裁と同じです。

民主主義の病いとは、これに集約されます。少数意見に耳を謙虚に傾け、真の議論をし、それが報道され、民衆が周知し、最後の最後で、多数決をするのが、真の議会制民主主義です。道理を持って論理の整合性を問い、政治を進め、そして失敗したら責任を取り、修正する事です。

従って、道理をもって答弁し、質問を繰り返し、熟議を重ねるのは当然です。しかし、安倍政権では、質問に道理と誠実性が無く答弁し、時間が来たら強行採決を繰り返しています。憲法違反に制裁条項が無いからと言って、平気で憲法違反になる法案でも数の力で強行採決です。これは脱法での独裁です。法に誠実性の無い所に独裁は生じます。これを防ぐのが公僕の『服務の宣誓』です。納税者の信託に答え、法律の『理念、趣旨に沿って法運用し』これに忠誠する誓いです。法律は社会の道義で有るものの、その全てを文字化するのは不可能です。この為の『不文法の道義』です。

これを裏切り、破るのは犯罪に等しいと考えます。公僕の卑怯は、ここに有ります。地方でも、いじめの隠蔽や、過労死も、これによって発生しています。尋常無いデマ個人攻撃も主導されます。真に悪逆非道です。憲法裁判所では、この弾劾裁決もぜひ入れて欲しいです。独裁は独善を通す事で、必ず失敗し、国を滅ぼす事になります。

正しい議論を今の政治は、主義主張の違う政党同士、また護憲派も改憲派も対立するだけで、皆、放棄しています。医者で言えば、診察に来た患者をないがしろにする治療放棄と同じです。このような態度では、科学系全般は発展しませんね。同じく文科系も発展しません。これと同じく国は堕落する一方になります。

科学をノーベル賞とか、メダルの数、成績の高低だけで判断し、実益でのみ発展させようとして外見は良くなっても、文科系の内面が伴っていないと、科学系も発展は止まります。人間が成し遂げるものですから、文化系も科学系も、同じ人間の中で総合し「人間個人として」、更に専門集団同士で「人間社会として」、互いに切磋琢磨しなければ「総合文化である人間」は滅びるのです。

議論をしないというのは、この例えでも御理解可能かと思います。何ぞ常識的な事を駄長文で顕在化して、今更、何を言っているんだというのは御容赦ください。

最後に家畜もそうですけど、尻毛というからには、御自分が虫けら以下の立場から議論をする覚悟と思います。諌めと悪口を混同してヒステリーを起こしてはいません。以前は、そうした経緯もあったよう?ですけれど、改善しておられます。皮肉や荒い文字も出て来る事は有っても、そこは大きく受け止めたいものです。

やギ な極度に人見知りなので、確かにきつい文字の綴りには怯えます。しかし、これを誤解してはなりません。家畜は、泣き言を時々書くだけに留めたいと思います。控えるようにしちましゅけんど。ちなみに、毒も薬になるように、暗黒フォースも匙加減で良か料理になります。料理にされたか無かでしゅけんど。めぇ。

日時
2018-01-03 14:24
投稿者
丑三 やギ
記事
「醜い国・日本の権威主義と忖度」小林よしのりライジング Vol.252
No.
171