眞子様の御婚礼について、先生ぴゃんの話が一番すっきりしています。
この件で、出鱈目報道が酷いのを知るのは、やはり予想していても心ざわつきます。
「宮内庁は当初、〜計算が外れてしまったために〜延期したのではないか」は、やギ の憶測と一緒でした。仮に、こう推測して(真実かどうか不明ですけれど)かたじけなく思うのは、皇室の不幸を有り難がっていて悪い事なのでしょうか。
やギ 、家畜は人間様の文字使いのニュアンスが難しいから辞めた方のいいのかな?畜生の文字面に注意!
アマラとカマラの虚偽は、知ってはおりましたが「この論文について論破する人が何度現れても、消えることはない」は、知りませんでした。とっくに放逐された論だと思っていました。
こういった事象は、今の皇室、改憲、社会の諸事について言えますね。
必ず、当事者でない者が、本筋から離れて、勝手な撹乱が仕立てられます。
いじめ自死でも、本人や、本人の家庭が悪いんだと言う話に、必ずすり替えられます。いじめ自死が問題であるのに、いじめと自死を分けて、学校、社会は、いじめは無くさないといけないけれども、自死するのは本人や、その家庭がいけないと吹聴されます。
いじめは無くせません。しかし、いじめ自死が発生したら、正常な対応で「いじめ自死の」再発防止が必要と言うのを理解しません。保身のやましさです。
前回で同じような意味で、社交性が挙げられておりました。事実に基づかない身びいき勝手な主観性は恐ろしいものです。
観念過ぎる意見では、通り魔で、気ちのいが一心不乱に刃物を振り下ろしているのに、助けに突撃しないのは、道徳性が無いとか口を極めて非難されます。
(新 堕落論の解説ビデオ関連。)
通り魔に、大した策もなく猪突猛進するのは、殺されたり、狂気を煽って、他の被害者を出しかねません。何か硬い物をぶん投げて頭に命中させるのが一番ですけれども、襲われている人に当てたら、助けるどころか、逆に加害になります。長い棒が手近にあって大勢でぶん殴れるのが理想です、しかし、上手い具合に長い棒が有る場合は限られます。それに被害者は死亡している可能性も考慮しないとなりません。現場の急で判断は別れます。
また、秋葉原の大量無差別通り魔で、群衆が写真を撮ってばかりで、みんなで何故、近寄って助けようとしないのだと言っても考えものです。不届きはいたとは思います。しかし、実際は冷静さが働いていたと見ていいと思います。
秋葉原では、群衆が犠牲者を救助しようと大挙して押し寄せたら、ただでさえ混乱していた救急医療が潰れました。
君たちはどう生きるか?も、主観性ばかりが表立って、事実に即した対応について棚上げされている感のします。
何処までも主観を押し通しながら、己の中立性を誇って、価値の逆転、倒錯に頭脳の到らんのは、人間社会の悩ましさです。