やギ 、さしゅの食物連鎖の下位にあって弱いので、先生ぴゃんの凄まじい野生の叫びの実況生中継に圧倒されちゃって、熱出して肩で息しなのら、これを書いています。でも、明日の道場は見逃せません。やギ 、熱に負けない。やギ 、生きて日本でファシズム、ナチズムの台頭にお目にかかるとは思えなかったから、その終わり(安倍晋三の終焉)を見たいシね。佐川、消されないといいな。消えてもいけないよ。アッキーだっているしね。二人とも安全の為に身柄を保護してもらいたいな。宅配便業社は、さぞ迷惑だろうな。社名の印象を悪くされるし、デマを流すのもいるだろうしね。日本でファシズム、ナチズムの台頭の後は、是非、立憲的改憲の実現を見たいよ。
駄弁った所で、書きためておいた遅くて曖昧で、どうでもいい感想を載せます。後はモウ明日モード。
事実より思い込みが先を行く社会(世界)が深刻化していると思いました。この点、ライジングもトンデモも両方とも己には共通性を感じます。
今、人間の置かれている事実が真実です。人間の周囲に現れた事実は、人間の現状を表しています。心が現れたものも事実として出現します。価値は常に人と共に生じます。人間の生命維持と、人間の在るべき姿(理念)から、かけ離れた事実は真実では有りません。自然、社会、精神の現象として現れた事実を正確に辿らなければ、真実から、どんどん離れていきます。
文字の使い方も心の現れです。文字の中、ネットの中、観念の中に嵌り過ぎると、驚くほど視野狭窄に陥ります。己も経験しました。ネット上の数行で殺人も起こるはずです。
そこで誠実を期すなら、人間は対面するのが一番です。ただ、事実を踏まえた話ではないと、真実から遠く、もっともらしい話では通じません。
目指す山頂は同じでも、分け入る道は違う場合も有り、同じ道から入っても、違う道を辿るようになる事が有ります。この時の判断で、頂きに立てるか、遭難するかの分かれ道にもなり得ます。
この判断を巡る主張は、公論なのか口論なのか、甘言なのか諌言なのか、正論なのか曲論なのか、見定めの確かさで結果は決まります。
もっとも、山暮らしの狐さんや、狸さんであれば、山頂なんぞ山全体の ほんの一部分の隅にしか過ぎません。喧嘩の必要も無ければ、道を誤る事も有りません。山の環境が守られていれば、天敵は少ないので、食を確保出来るかが問題です。
産経界隈など、未だマルコポーロの夢だけ見て足元を見れないのがいます。語り野郎には注意です。
証明責任を言う時、注意が必要と思います。帰納的、演繹的に証明は可能です。この論理確保の出来ていないものは論外です。
ただ基本的には、正確な情報、証拠で犯罪、不正の証明が出来るに越した事は有りません。特に、権力に対して必要なのは本文中通りです。権力が全ての情報を握って離さなければ、権力の犯罪、不正の推断可能でも証明も審議も不能となって隠蔽されます。
犯罪、不正は隠せます。暴くのも隠すのも自由です。ですから権力には、知る人権を思うようにさせたくは無いです。
隠蔽は、学校の教室から障碍者支援 NPO まで、本来、弱者の側に立つ身近な所で日常茶飯事に横行しています。小悪はざらに、大悪も多いです。子どもの命に関する事さえ真実が隠蔽されます。危なくって仕方無しです。たかだか小権力に封じ殺されている横で人は生活しています。
そして小権力を大権力は守ります。一度、権力に封じ殺されると悪戦苦闘します。他人事では有りません。自分事として、己の頭に火を着けなければなりません。公共機関に預ける子どもの安全さえ危機が深くなっています。