安倍昭恵の公私混同ぶりと、これを許容する安倍晋三、麻生、菅、今井尚哉、等、直接的、間接的に公文書改ざんという国家反逆罪に手を染めた連中に呆れます。疑惑の三日間は、もっと注目されるべきです。
この間の放送で、安倍晋三が昭恵と別れないのは情が有るからとの御話が有りました。しかし、そうとは思えません。安倍晋三に、そうした情があるのか疑問です。
情が有るなら、これまでの人間社会に対する恥知らずの数々は、恥ずかしくて不可能です。それこそ良心の呵責で詰め腹自害しなくては嘘です。此奴には、森永の政治資金、票田確保しか目に入っていないのではないかと勘ぐります。
国家反逆罪に手を染めるなど、真っ当な人情が有れば出来ない事をしでかした上、更に誤魔化しまでさせるのは、普通の人情さえ無いとしか考えられません。まさに犯罪者の心理です。一般人も、知見のみで人を切って、小賢しく立ち回るようになれば、権力の腐敗と同じになります。
知見の立つものは情の劣っている者がいます。その中でも老婆心の足りない者は、例え、合理性に富んでも唯物的に冷酷なので、信用無く、人心の離れ行くのは仕方無しです。
心は行いになって現れます。行いになって現れた時点で、性根の更生が難しい者がほとんどです。性根が変わらなければ、再び、同じ行いとなって現れます。ここを懸念します。心を改めて、行いも相応するようになるのを望みます。
よしりん先生の御苦心を御察しします。己の分際で、師範方の間に口を挟んでも、先生のわずらいとなるだけと思い、己は差し出口を、これにて控えます。
暗黙の確執的道場が、もし未来において描かれるならば、どうなるかいなぁと思って見ています。現在は、すでに、先生の創造の中にいます。
皇室の御為と立憲的改憲は、何卒、おたのみモウします。