本日の道場は、歴史的な公論になったと思います。
条文案について、本日の道場で御話のありました。時事刻々と変化している政情を見ての対応で良いと思います。そして、やたらと成果を早るのは、立憲的改憲に相応しくありません。今度こそ、立憲に恩賜は不要です。上意下逹では無意味と繰り返されています。
尋常で無い現場を持ちながら、これを建ち上げて行くには、庶民と時間を共にしなければならないほどと思います。ブログに〆切に告知や、仕事の指示までされていて、よそ事ながら、実況生中継で半分巻き込まれている感じです。下手を打つと前のように、こちらが泡を食って盆踊り状態です。
本日の道場は高度で、道心の無い無知蒙昧に論争は不可能と思い知りました。左右ヨタろーから抜け出られる向上心と公正さ、学習心の必要を痛感しました。
長谷部恭男ちゃんは、山尾氏の立憲的改憲を知りながら「憲法の良心」を出すのは悪心有りです。あれは腹に不公正唯我独尊の一物の有りです。安倍晋三と同じです。非常に危険です。一度、この性根を叩き潰さないと、日本の禍根に成り得ます。憲法学者でありながら、良心に期待するそうですが、法律と不文律の区別はついているのでしょうか?加えて、己のは間違いを認める力の無ければ左右ヨタろーと同じです。
遅ればせながらライジング関連です。
芸術家個人と、作品は分けて捉えるべきは当然と思います。しかし、いくら芸術でも、狂った表象の絵画や、いかれた者や下賤者の道具は、家に飾ったり、使ったりしたくないものです。下賤をテレビや新聞、ネットで見ると気分の悪くなるのと同じです。特に、穢れているのものとは離れていたいです。単に性根の悪さを想起するものも同じです。当然かぁ。
荒木経惟の名は聞いています。しかし、これまで興味は起こりませんでした。これからもそうと思います。
道徳を「学校教科で」教えるのは無理です。学校は、暗記、技術の偏差値を教えるだけしか出来ないと諦観した方が間違い無いと思います。
大学でさえ、教養科目とやらで前半を奪われ、後半は就職活動に悩まされながら、卒業論文の仕上げに集中しないといけません。
それに、教諭、教授、博士、政治家、官僚といった者は、偏差値は高くても、学問を教養として人間に還元出来ている者は限られます。「真面目でもなく有能でもない」こうした標本は、ゴー宣に次から次へと出て来ます。
道徳とは、気根に道心が在るか否かにかかっていると思います。この気根を「学校教科で」教育しきれないと見て間違い無いです。「画一的な価値観の押し付け」になるのは明白で、逆効果になると思います。
この分別をわきまえていらっしゃる本職の人には申し訳ないです。
最後に
希蝶さんのコメントは、己に限って言えば苦になりません。
己がコメントを続け始めた時は、緊張の誤魔化しを なじって頂き、逆にコメントしやすくなりました。真実です。恥に小心な部分を一念発起させられた感じでしょうか。よくわからないと思いますが、今更ながら感謝を申します。
(来るだろうなぁと思っていたら、予想の人が必中でおいでになったので、ヒッチコック効果で余計たまげぇりました。)