たかだか何年か上の先輩、単なる上司、同僚というだけの、狭い職場だけの知り合いくらいで、分際も顧みず、常識も無く、馴れ馴れしく、性的からかいや、性的接触を繰り返し、反感、不評、嫌らしく思われていても気付けずにいるセクハラ野郎は、左右ヨタろーと同じですね。
誤読した(左)右ヨタろーのように、己は真実を知っている!自分スゲー!さいこー!と高揚感だけの勢いしか他に無く、視野が狭過ぎるのに、この世の全てを解ったような気持ちになっているような、みっともなさです。
(参考 泉美木蘭)
http://www.gentosha.jp/articles/-/10489
こういうのは立憲的改憲においても茶々を入れるだけで、みんなで何を目指し、構想し、展開して行こうとしているのか理解しようともしないです。
山尾氏の立憲的改憲案は、安倍晋三が発議してしまう状態なら、不充分な状態でも対抗策にするしかありません。しかし、そうでもなく時機を見ず、現状を見ず、条文、条文と蛙が柳に飛び付くように言うだけでは、恩賜の改憲を求めているに同じです。回復の改憲を主張しながら、恩賜の改憲を求める自己矛盾を晒しているのに気付けない、みっともなさです。
勢いと気合いと条文だけで急に突っ込んで団子になって転がり込んでも、後の始末を考えなければ未来は開けず、不充分な所をメリケンに突かれ、理解出来ずの国民の適当な選択で、元の木阿弥にされてしまいます。新潟選挙や、辺野古選挙のようになるのではないでしょうか。
他人の条文を求めないで、己の条文を出すくらいの国家観の大構想を示してもらいたいものです。もちろん、共通した理想も、現実の限界も知らないので捨ておかれるだけですが。
道場の恵まれた仕組みを見ながら見えていないのは、精神の視野欠如です。IPS 細胞で、緑内障の視野欠如が治療可能になっても、精神の視野欠如は治療不可能です。