現日本国憲法は、条文が少なくて解釈が伸び縮みして、一つの憲法で、二十年前の教科書さえ使えなくなるという弊害を道場講義で教えられました。これでは、日本国憲法が複数あるのと同じで異常です。
フランスでは、改憲して統治機構を改変したら、目標が達せられたか事後検証をするといいます。これは、改憲した条文を統一機構として、合意が国民意識ごと無くてはならないと思います。そうでないと事後検証の意見は、何時迄も百家百説で混乱するはずです。やはり、何を国是とするかの構想の共有が大事です。
改憲の際、条文の解釈とは統一機構の一つとして何を意味するか、読解の統一見解の定まっていないとなりません。偏差値の高い者まで、性根が偏向していたりすると、恣意的な解釈をします。
憲法の理念と構想を現実の限界の中で、如何にするかの見識の共有が無ければならない事になります。実現に向けて気が遠くなります。それでも可能な限り国民が、為さなければならないものと思います。
拡大解釈に歯止めをかけ、解釈憲法学の利権囲い込み学者には、楔を打ち込んで、法律学の健全性も取り戻さないとなりません。
怨むべきは障害になるものです。歪曲した性根、偏向して固着したカルト意識、読解力の無さ、理解しようとする向上心の欠如、公共に対して恥を感じる希薄性です。
こういうのとは、多分に性向犯罪者同様、反目しあって、平行線を辿って対立して終わるしかないでしょうね。
袴田事件の再審を認め無い決定が高裁で出ました。それでも拘置に戻さないそうです。再審をするかの審理は、詩織さんの検察審査会と同様にブラックボックスと言います。疑わしい決定です。報道は、この決定を下したのは、東京高裁の裁判長 大島隆明と節々に書いています。どんな決定でも、文字だけでなくて、大きな顔看板の写真と略歴も須らく載せてやった方が良いと思います。問題は安全面ですが、法廷の逆襲をする者は、顔看板に関係無くヤると思いますので、法曹になったら、それなりの覚悟の必要と思います。