丑三 やギ の削除コメント


>>101

日大アメフト部は、選手も職員も、好き好んで従っていたのでは無くて、権力で押さえつけられていた「パワハラ」であって「オウム的!」で無いとの事です。

しかし「オウム的!」に日大選手もなっていたと思います。相手が怪我をして首や腰を痛めてしまったら、一生涯、半身不随な人生を与える事になります。一切、感覚の無くなってしまう体を持って、一生を送る苦しさを想像出来ないでしょうか?アメフトのような危険な競技をする者が、大学生にもなって分からぬはずはありません。

常識を持ち、分別の有るなら『法外な』『危険過ぎる』『悪質タックル』を『卑怯を省みずに』『私欲を優先して』実行してしまうのは、どうした状態なのでしょうか?洗脳状態にあると思います。

単なる「パワハラ」や「いじめ」でも、自死してしまうのが人間です。死ななくても、他に道はあるものを、その場の空間に埋没しきって「オウム的!」となり、最善の人間の生を無に帰してしまうのです。この場合を精確に言えば「学習性無力感」です。正しく言わなければ、被害者への侮辱となってしまいます。オウムカルトと混同しては失礼です。

この失礼は、日大選手にも言えます。しかし、やはり日大パワハラにおいて選手は「オウム的!」に洗脳状態だったと思います。

髭の不潔な肉の塊に臣従して、大罪を犯し、一緒に処刑された弟子幹部も同じような状態だったでしょう。当時の教団内では、機縁の有れば誰でも一緒に大罪を犯す状態だったと言います。処刑された幹部の中には、洗脳の解けて涙を流して後悔する者もいたようです。まことに哀れです。洗脳者の処刑回避は出来なかったのかと思います。しかし、実際の行いは常軌を逸しています。

現在の左右極端の者が、常識も道理も考えず、安楽、安易で、軽薄な風潮に得意になって浸っています。そして、盲目的に安倍晋三の目論見に臣従する精神世界に閉じこもる多数の状態が出来上がっています。これを「オウム的!」と言っても、さして違いなく思います。

まとめて簡単に言えば「オウム的!」とは、視野狭窄です。ネットをしていれば、現実の中で実態ある自分を忘れて、視野狭窄しまう場合が、この欄でも、己でも発生しています。従って、何でも「オウム的!」と当てはめてしまえるものは、たくさんあります。抽象的なゆえに、適用範囲が広過ぎます。物事の本質を見て失礼にならないように、そこは気を付けないとなりません。

日時
2018-07-08 12:30
投稿者
丑三 やギ
記事
「ネットの『基地外』の憎悪について」小林よしのりライジング Vol.275
No.
103