「崩れ落ちる兵士」の写真は、作り物と発覚したのは知っていましたが、詳しい事情は知りませんでした。これが架空の写真でも、戦場の現実を世に衝撃を以って知らしめた功績を考えれば、一流の表現物として責められません。
写真は現実(事実)を写すものでも、偽物と知らなければ、戦場の緊迫とする架空を人々は現実のものにするんですね。こうなると写真は幻想画と同じです。
新聞を読まない人間が、みんな自民支持者と言う麻生の発言で、存在否定された新聞自体の産経新聞が、見当違いの解説をしているのは滑稽で哀れです。
要は何を見て、何を聞いて、何を捉えるかです。他に先生が挙げた例のように、現実に身を置きながら、人は架空の世界に落とされます。この点、通常人であっても、カルト人であっても同じであって、人間は非常に油断出来無いものです。
目前の事実さえ、現実を都合よく捏造してしまいます。先生の描いた「敗戦を信じなかったブラジル日本人」や、左右ヨタろーと同じです。
この世界で一体、どれだけの人が、事実を事実として捉えているか、本当の現実を生きているかです。ライジングを読むと、真実の世界に生きている人は少ないみたいです。単に、視野狭窄では片付けられません。
更に健常であろうと、カルトであろうと、組織の論理が個人にもたされたら、場合によれば、人は幾重にも架空の世界を生きる事になります。
その架空を実行に移せば、それが現実になります。事によっては弾劾され、莫大な賠償が生じ、獄に繋がれ、また処刑されます。あるいは、国を窮地に陥れて共同体と共に滅びます。恐ろしいものです。
それに人は、互いの心中を知る事は絶対に不可能です。言語で交流し、意識を共有しているつもりでも、例えば、大量殺人鬼とかと知らぬ間に話していたら、表面上の言葉の世界と、思い描く精神の世界とは全く別物になります。
言葉の表面しか見ないなら、誤解どころか架空世界に置き換わります。事実の世界とおさらばです。
先生の言うリテラシーという単語には、読解力の他に、洞察力(フォース的な第六感)を含むのを忘れてはならないと思います。事実の世界を生きたいなら必須です。