医療現場の方の意見を聞けて勉強になっています。
トンデモ見聞録
遅ればせながら
東京医大の入試操作は完全に卑怯ですね。医療現場の実態はどうあれ許してはならないです。
ただ、医療の現場を考え、正直に制度の改革は必要と思います。当然ながら、この問題と東京医大の入試点数操作と、当然、一緒にしてはならないと思います。
何故、医療大組織が、隠れて、こそこそ卑怯に点数操作をしていたか分かりかねます。日大、加計学園とか、公明正大に悪事を働いています。一方、公明正大な大義の有るに関わらず、議論が為されて来なかったのが不思議です。やはり、金になる客(受験生)の動向を見ながら、損得勘定の利権確保の働いていたのかなと思います。
大学は、人間形成を旨とする教育機関なのか疑問に思います。資本主義の商売の論理の働くのは仕方無しにしても、知性教養を扱うにふさわしくあってほしいと思います。
知性教養の主とする大学が、体育大学でも無いのに、競技能力に大学宣伝の用を見出して、生徒を入学させるのもどうかなと思います。もちろん、体育でも体の研磨において、知性、徳性、感性を磨けます。それなら、体育学科を作ればいいのになと思います。それこそ資金のかかる医学部創設より簡単ではないかと思ってしまいます。
ライジング
ハンムラビ法典と罪刑法定主義の刑の限界についての意義を読みました。これを教える中学、高校はあるのでしょうか?徒らに、古代=野蛮では無いのですね。
己は、安倍晋三の「再審請求権」脱法に嫌悪を抱いていますが、免罪の可能性の無いオウムについては分かります。ただ、脱法行為を継承しない政治家の戻ってくれなければ困ります。
本当は、解釈の粗雑さを回避する為に、脱法行為をさせない規定も必要なんだと思います。免罪の可能性の無しは執行 OK。慎重を期す受刑者には考慮必要など、ドイツみたいに細かくなります。それはそれで問題も出て来ますね。
己も死刑執行に際して、命乞いする死刑囚に執行ボタンを押せるかと言ったら絶対に押せません。また、麻原に出会ってしまったゆえに、死刑相当の重罪を犯して、死刑になった元信者幹部に同情を禁じ得ません。人間が人間を殺す死刑という矛盾も分かります。
しかし、先生の仰る
『世の中には、どんなに後悔しようが、反省しようが、改心しようが「取り返しのつかないこと」がある。犯してしまった罪に対しては、相応の罰を与える以外にないのだ。』に
反論できる人はいないでしょうね。少年法に守られる事を予想して悪事を為す年少、公僕権力に隠れて、やってはいけない事を容易に為す(安倍晋三的)下賤ども、あらゆる脱法を狙った知能犯に、この論理の適用されるよう刑法改正を望みます。
どんな時でも遂行しなければならない立場に立てば『それを引き受けるのがプロ』という言葉にも重みを感じます。
『辺見はオウムと全く同類』というのも鋭い指摘と思いました。人間の持つ共通な危険性、反対に理想を達成させる共通な崇高性、人間の本質を見極められなければなりません。
自死に追い詰められた人、殺された人は、もう帰って来ません。加害者が、どうなろうと同じです。しかし『最低条件』として罰せられない公共組織、その為の法律は、何の用で存在するのかです。虐待を知りながら、家庭訪問からすぐ戻って犠牲者を出す児相、生徒自死において、いじめか調査するどころか隠蔽する教育委員会、学校、あらゆる出鱈目を為す安倍晋三政権、皆、何の用であるのでしょうか。
この点、プロであるはずの人たちが三日間探して見つからなかったのに、遠方から、わざわざやって来て、二、三十分で不明の二歳児を救った蛸ハチマキおじさんの方が優秀です。プロに無い視点もあったかと思いますが、安倍晋三的手法に毒されている人には見習ってもらいたいです。
学歴があってもなくても、あの、おじさん的に生きて、散る時は、執着なく散って行くのが人間の理想の気のします。それは人それぞれであって良いと思います。学歴のあっても、銭のあっても、権威のあっても、オウム、安倍晋三に媚びる官僚などにはなりたく無いです。
長くなったのに凝縮する体力のありません。考えの足りない所が何時ものようにあると思います。徒然に書きました。諸々、御容赦ください。