あくまで感想です。異論ではありません。ですから返信は要りません。
面接結果を「点数化」は、何を基準にするのか分かりません。
学力テストの点数の下のったら、教員評価を下げるとか、己のボーナス返上すると怖賀リータさせてる大阪市長 吉村洋文以上に分かりません。この市長は、生産性を上げる為に目盛しか見えないようです。これで人間の良くなるわけのない。人事評価を気にした教員の点数裏操作など、不正が懸念されます。
面接の主観を目盛りにするのは、どうするのでしょうか。
過剰な医療への寄りかかりは無くした方がいいのに賛成します。
ただ、苦しい時は苦しいのです。我慢してたら、おっチム例もあります。特に、子どもの危機予兆やよしりん先生の喘息発作、首のねじ曲のりを放っておいたらトンデモない事になっていたかも知れません。些細な症状が重大事に繋がる予防をどうするのか。結果論でも、子どもを見殺した親は、悔やんでも悔やみきれないでいます。
真っ当な人が、出来る限りの長命を望んではいけないのでしょうか。国民保険に願わずとも、金持ちは、巨額を使って延命するのがいます。貧乏人は、おっチム選択しかないのでしょうか。
おっチムのは、わかっておっても、家族の為に、子どもの為に、一日でも、数時間でも長生きしたいという人はいます。自死した家族のいただけで仕合わせだったという悲鳴を聞いています。
おっチムのは、早くにおっチンだ方が世の善利なのでしょうか。これが進むと「東北のジジ、ババ早くシネ」の官僚ツイートに発展します。生産性の無い病人老人殺処分施設も視野に入って来ます。
よしりん先生が喘息で描けなくなったら、よしりん企画の解散は当然。不要になった先生は、生きていてもしょーもないから殺処分というのは嫌です。反面、西部先生の場合は、絶対善、絶対悪とも言いたくないです。巻き込んだ人がいたのと、周囲を悲しませたのは、よくなかったです。優れた人でも、こうした判断を誤らせるのが自死です。
「人生の幕の閉じ方」は、各自考えていいと思います。