丑三 やギ の削除コメント



体罰について、先生の主張は体罰を原理主義にしてはいけないと言う点で文句を付ける所はありません。有名トランペッターが、公演の最中、年少ドラマーを張り飛ばした事件のありました。あれは、日頃から言う事を聞かず、ついに本番で自己顕示欲を全開にして公演を台無しにして、オーケストラ全員の努力を無にしたと言う事で、ブチ切れたと言う事です。体操競技に限らず、このくらいは常識で判断されないと困ります。初め理由を知らず、おこっちゃまになりましたですけど。




以下、ライジング言外の蛇足です。
時間のある方だけ、どうぞ。

「恒常的に」体罰を良しとする人は時代遅れも甚だしいと思います。競技の種類は関係無いです。運動競技の鍛錬で、昔は水を飲んではいけなかったのは、今ではナンセンスの極みと言います。

同じように、指導の仕方も体罰をしなくても(まい楽しく)合理的に技術を上げる指導は可能だそうです。こうした指導法を知らない教員、また指導者は、非常に劣っていると言われます。劣等指導者です。

ただ、これが普及しきっておらず、競技の指導的立場にない己は確証的に言えません。しかし、体罰を伴わない指導法で成功している人たちは現れていると言う事です。大阪なおみさんも、そうだと言われています。

体罰は一種の暴力です。感情が伴います。銃を撃ちたくなければ、銃を持たなければ良いです。煙草を吸いたくなければ、煙草を買わなければいいです。

しかし、感情は違います。精神は常に存在と共にあります。切って離す事は不可能です。よく体罰肯定論者は、行き過ぎなければ良い、愛の鞭だと言います。気合が入ると言います。それは可能なのでしょうか。

体罰、すなわち暴力は怒りの感情です。この感情を行き過ぎないように常に保持する事は難しいと思います。常に暴走する危険性を伴います。それを殴れる立場の、ある意味特権階級が行使すると言うのです。常に暴力に誘惑されている状態です。暴走しない方がおかしいです。危険極まりないと思います。

体罰肯定論者は、速見が宮川選手にしたものなんぞ体罰のうちに入らないと思っています。もっと凄い事をさせろと言う者も少なくありません。

無頭脳な指導者は、己の思い込みと、己の狭過ぎる経験だけを絶対にします。そして、過ギタ事をしても、下賤に限って己の無能、低脳、無知に気付きません。優れた選手が、優れた指導者である法則は無いです。

暴力を受けた利点を挙げる人が必ずおります。しかし、運命の結果でしかありません。個人の気根と時と場合によって利点も欠点も入れ替わります。結果が欠点の場合、身体的、精神的損失が生じます。この場合は、人生を台無しにする可能性があります。

精神の場合は、PTSD になってしまったら、己の努力で何とかしようにも、自律神経のやられて意志で何とかしようにも、どうにも出来なくなります。また、命を失う例があります。こうした例は、戸塚ヨットスクールだけではありません。近年、多発しています。

競技指導者の中には、一定の割合で、戸塚宏のようにサディステックな者が必ずいます。こうした奴と縁を持ったら最後です、身体的、精神的に殺傷されます。うじゃうじゃはいないようですけれど、ゴロゴロはいます。
(例を知ればえげつなさで吐き気のします。)

全体的に体罰を容認すると、非道な暴力に歯止めを失います。競技の指導は、閉鎖的な組織内のフジツボ化した集団内で行われます。

怒りと恐怖の暴力で押さえつける組織の論理が固着するのです。

説明するまでもなく、運動競技で好成績を挙げれば、所属組織によっては役員か、それ以上の待遇を(事実上でも)手にします。学校や企業の宣伝利益を大幅に上げるからです。それによって非道な暴力は正当化され、指導者は勘違いをして、更に暴力を酷く増長させます。反対勢力は粛清されます。つまり権力を持ちます。

競技における人間性の練磨よりも、利己のみの名利確保が優先になります。挙句、非人道を省みなくなります。そして利権化した閉ざされた組織内で、一度手に入れた権力に執着して離れません。

昔は、食糧難で空き腹を抱えたり、戦争を体験して死に接し、体罰においても、命に注意を払う面を何処かに持っていました。頭脳の程度によって限度を知っていました。また、体罰を受ける方も、同じような経験で死を身近にして、苦を受け止める態度や、耐え難い苦痛を伴う暴力も、何とかやり過ごす工夫を捻出しました。ですから、かろうじて制御が何処かで働いて、体罰の暗黒面は表に出づらかったと思います。

しかし今は、空き腹を抱える事は無く、目の前で失われる命を知りません。殺しのゲームをし、ネット仮想空間での思い込みを現実に直結させる者が増えました。従って、増長慢を欲しいままにして、体罰を称した暴力で殺傷する事が増えました。

時代は変化しました。

柔道で、中学初心者を指導者が投げ叩きのめし、殺傷する事例が後を絶ちません。武道の必修化で柔道が多いと聞きます。道着だけ用意すれば安価ですからね。これから柔道の被害者は増えるはずです。死ななくても、目と口をポカンと開けたまま一生涯、植物人間です。それを横に、柔道着会社は大儲けです。

日常的体罰を是とするのは危険です。気合いを入れ、危険回避の為とした体罰で、指導者が殺傷したら意味の無いでしょう。死んでからでは遅いのです。

こうしますと、程度の低い者が集まった学校は荒れる事があります。しかし、学校は一種の権力組織です。解決に暴力を使わずとも、法制や権限を行使して是正可能であり、その方を使うのが健全です。

こう思うのは、指導者が暴力で人を殺傷しても、逃亡、隠蔽、封じ殺すのが、権力で容易だからです。卑怯な保身を必ずします。

例えば、暴行死させても、大勢の部員の目撃者がいるに関わらず、法廷では、嘘は付かぬと宣誓書にサインして読み上げながら、己は暴力を振るった事は無いと裁判長に平気で嘘を付きます。見え見えですが、誰にも見えない主観に隠れるのです。法廷の証拠主義に逃げるのです。安倍晋三に同じです。

鹿児島県 出水市は(精神的、身体的いじめ)暴力の調査内容を役人が知ってながら、遺族には絶対に開示しません。どうも、いじめ無しとしながら遺書を隠しているようです。

宮崎県 新富町 新田学園も同じようにアンケートを遺族に内緒に開示しただけで無調査のままです。形だけの調査内容も開示しないどころか説明さえしません。

ここでは複数の公文書の改ざんが為されています。主なものは死因改ざんです。また、スポーツ振興財団の共済保険の書面も改ざんし、学校災害で降りるはずの保険金を取り上げ、訴訟資金を絶った上で、その保険認定を(精神的、身体的いじめ)暴力の無かった証拠に逆用する事も法廷で平然とします。

他にも様々な隠蔽工作を自治体(都道府県、市町村、保護者会)ぐるみで施します。

皆、もりかけやまイナダの遥か以前から続く事案です。これから目を背けて知らぬ顔をしたい者がいます。タレントのひき逃げ被害者を目前に、関わりたく無いと逃げて行った者らと同じです。この者らを擁護する傍観者効果の心理学は言い訳になりません。

多くの場合、このような感じで、学校、指導者に殺傷されたら、遺族は多額の訴訟費用に苦しみ、八つ墓村共同体の因習攻撃を受けながら、二度と帰って来ない我が子の為に何年も、何年も苦しみながら闘わなければなりません。

堕落した裁判官に当たれば、証拠保全も認められません。証拠は、取ってつけた理由で開示されず、権力の圧倒的優位の立場を前に不利に立たされます。

遂には真相解明は困難となる風化の年月が過ぎます。関係者は異動し、風化人事で事件と無関係の者を相手にしなければならなくなります。

こうなると情報開示義務を怠って、知る人権を損なわれた賠償請求しか不可能になります。これを認めさせるのは非常に困難です。裁判官も公務員ですから、己の逃げ道確保に走って、原告に不利で明確に不合理な判決を出す事も少なくありません。これでは、当初の目的も果たされず、心身ボロボロで息絶え絶えです。非常に不健全です。生きたまま地獄の拷問です。

従って、体罰は禁止の方がいいです。基本的に当然です。但し、原理主義は、よくないです。常識的体罰が出る事はあります。これは、しっかり判断されるべきです。

しかし、常にそうであれば、体罰禁止にならなかったはずです。体罰の美名にもとに殺傷が行われ、顔を拭って知らん振りされたので、体罰禁止が先行して、新しく代わるべき指導法の普及、研究が遅れているのです。

指導者は、体罰を必要としない指導法を学ぶべきです。そうでなければ体罰無しで、どう指導すればよいか分からないでしょう。不勉強なまま、怠惰のまま、劣等者のまま指導され、若者が殺傷されて欲しく無いです。

年少が指導者を舐めて、組織が荒れたら、私的な場合は破門にし、公的な場であれば、是正する為の法制や権限を行使して、公正、正直に対策を為すべきです。ここで要注意は、組織の者に責任集中と業務集中を避ける事です。そうでなければ労災死の害を生みます。

いじめ基本方針があっても、いじめ防止法があっても意味は無いのです。権力の歯止めはありません。(憲法 9条の問題と同列です。)真実があっても隠蔽封殺は、地域の下っ端権力でも思いのままです。安倍晋三は小鬼化して全国に潜んでいます。

そのうちライジングの読者、門下生の中からか被害のお子さんが出るのは近いと思います。予告しておきます。危険の真っ只中に子どもたちがいるからです。それだけのものが渦巻いています。気分を害されましたら御容赦ください。

先日、不来方(こずかた)高校バレー部でも、しばき自殺がありました。大阪桜宮高校のしばき自殺を想起します。この指導者は、前任校で生徒から傷害で訴えられ、一審で賠償を命じられています。これを不服として此奴が控訴している最中です。気に喰わないのは『岩手県立校の矢巾町』だと言う事です。あの許せない禍事は、ちょうど三年前になります。

日時
2018-09-16 03:21
投稿者
丑三 やギ
記事
「体操競技には体罰が必要ではないか?」小林よしのりライジング Vol.284
No.
83