「〜劣悪な労働環境にさらされた技能実習生が、疲れ果てて入浴中に溺死」
あの資料での溺死は、実際の所、どうなのでしょうか?溺死は、自死と事故、他殺の見分けが難しいです。国内で色々、証言してくれる人も少ない境遇でしょうから、自死か事故(他殺も一応勘定して)不明だから溺死扱いされてあるか、自死でも死因は溺死なので、そのまま記載されている可能性の方が高いと思います。浴室での溺死と考えるのは、限られた人数の中で、多いとは考えづらいです。
ここで、可能性の問題を言っても水掛け論にしかなりません。ただ、注目してもらいたい事が有ります。児童生徒が自死しても、学校行政側は病死、事故扱いにする事が多いです。警察の鑑識が明確に自死としても、行政権力が無理やり、そうでなくするのです。いじめや、指導に関係する自死を隠蔽封殺をしているからです。
少なくても、病人の自死でも死亡診断書は絶対に病死になるはずは無いのです。つまり死因改ざんです。事実上、権力の胸三寸で殺しも保険金殺人も役所で可能と言う実態です。子供の世界で公文書偽造や、虚偽報告が、森本加計以前から横行しています。警察と文科省の記録が違うと争って、自死と是正するのに約二十年もかかった家族もいます。
結論を言えば、死に対する公共的な把握は結構、丼ぶり勘定な所が有るのではないかと言う事です。西部氏の自死も報道されて、相当たってから自死幇助の有ったと出ました。警察は何をしているかと思いました。
案外、トルコの大使館で起きた殺人と同じ悪事は、日本でも可能かと思っています。日本も権力を持つ者が、有った事を無いと言ったら、無い事にされると言う事です。恐ろしいです。
「いじめ定義」で、いじめと言ったら、いじめは成立と言うのはデマです。このデマを一緒になって喧伝するのは「デマ屋ツネひら」と同じ程度でしか有りません。怨み晴らすメントを憎む余りにデマを喧伝して、被害の訴えを阻害し、被害者を苦しめるものです。「いじめ定義」は確かに曖昧です。だから「いじめ定義」を示す『いじめ「対策推進」法』は証拠集めと客観的で実証的な論証を必要としています。しかし、学校行政は調査をしないように事態を持って行きます。周囲もデマにほだされて、被害者の訴えを軽くあしらう輩もいます。
移民的労働者の実態も、手厚い調査をしてもらいたいです。法的にも人道的にも弱い立場の移民的労働者の実態は、是非とも追跡調査をしっかりしてもらいたいと思います。調査しなければ、何事もわからず、何も対策の立てようも有りません。
そして釘を刺したいのは、調査結果を都合よく改変、改ざんしない事です。そうでないと移民法の実態を国民は知る事が出来ません。国民を騙して移民法を続けていけば、矛盾が噴出してからでは手遅れです。国には、人の生死をしっかり把握してもらいたいです。誤魔化さないでもらいたいです。