「ブログ全体を見ていれば読解出来るものばかりです。」
私は一つのブログに限定した【全体】でなく、今までに書かれた
「あのな、教えたろか」ブログ【全体】を読み比べると
たちまち矛盾が生じ、その場しのぎの自己正当化
取り繕いの粗だらけで「ついて行けない」
となった側の人間ですが。
閲覧者に「小林よしのりが正しい」と思い込ませた上で
(常に正しいワシの主張を否定するような言動で
ワシを侮辱し、ワシに屈辱を与えた)憎き相手側を
「こいつは無知、愚か者、人でなし」であると蔑み貶め
恨みを晴らしてスッキリする事ばかり優先し
今回のケースだけ、一時だけなら一番もっともらしく聞こえる
理由や理屈をくっつける。
毎回毎回、まだ自制心が身についてない子供が
望んだ結果を得られずに癇癪を起こしたかの様に
瞬間的な怒りに任せて熟考せず書きなぐるブログなので
書いた本人がしばらくしたら発言内容を忘れる
常に自分の主張が上位承認されないと気がすまない
子供マインドな【喉元過ぎれば熱さを忘れる】程度の
怒りの感情が発端なので、喚き散らして満足した後の子供の様に
発言内容を忘れる。むしろ小林先生に批判された側の方が
「子供を相手にしているとは夢にも思っていなかった」
と仰天するくらいに、あっさりと忘れる。
今この瞬間の怒りや不満をぶちまけてスッキリ出来れば良しとする
わがまま小皇帝の一切熟考していない書き散らかしだから
そもそも最初から前後の言動との整合性を図ろうという発想がない
こうしてバイバインの栗まんじゅう式に膨れ上がった自己矛盾は
「過去の発言を探して来る馬鹿」「常に思想して成長してアップデート」
という【魔法の言葉】で全てリセット
雪崩式に読者が離れていった最大の原因は
911テロ賛美でも、女系天皇でもなく
道場ブログを始めた事 でしょうね。
「テレビで見たコイツの言動が気に食わない」
「世間のこういった風潮が気に食わない」
「本やネットや人づてで見聞きした~が気に食わない」
と【小林よしのりの見解と違うから不満、不愉快だ】
とする怨嗟の声を、365日時間の許す限り無制限に
巻き散らかせる様になり、SAPIO欄外の
限られたスペースだけで文句、愚痴を書いていた頃は
ページ数の都合でまず扱えなかった些細な出来事に対しても
満足するまで無制限に文句、愚痴を書けるようになる。
こうして連日何かしらを痛烈に批判してるのだから
当然、小林よしのりの主張への異論反論、批判の声は
ブログが無かった頃よりも大きくなる
持論が上位承認されないと気がすまない小林先生は
批判の声への再反論に関しても、SAPIO欄外スペース縛りが消え
ブログで無制限に行えるので
いちいちムキになってその場限りの自己正当化が成せれば良しの
雑な再反論を行い、わざわざ自己矛盾が起こる原因を増やしていく
ゴー宣やわしズムといった雑誌媒体だけの時代よりも
多くの人目につきやすいネットで相も変らずゴー宣方式の
人格攻撃的な内容も含んだ他者への批判、罵倒、嘲笑
を延々と繰り返して、それで身内に甘く他人に厳しい自己矛盾も
どんどん露呈しているのですから
爆発的な勢いで人々から嫌われ、呆れられ、読者が去っていくのは
当然なのです。出版不況や本離れといった外的要因のせいではありません。
ライジングにしろ道場ブログにしろ、他者への批判ありき
誰かしらを悪く言うことを生業にしているかのように映る人間が
人々から好感をもって迎えられると思いますか?
それが一部のインテリ、堅物を除いた、普通の人々に好かれていた
おぼっちゃまくんのギャグ漫画家よしりんと
影のフィクサーを気取り世間への影響力がある事にしておきたい
言論人ゴー宣登場の小林よしのりの違いです
「ワシの読者は30~40代がメイン」 当然ですよ
熱心なシンパもアンチも
もう おぼっちゃまくん直撃世代 だけしか残ってないのです
子供時代におぼっちゃまくんに親しんだ思い出補正で
他の世代よりも愛憎が深くなるのです。