言葉、文字とは定義です。不合理な話を合理的に話したからとて(それは合理的になるはずも無く)不合理に変わりはありません。
言葉と文字の定義を事象に合わせて変えていくと話が通じません。他人が間違っている定義で言葉と文字を使用しているなら、強制的に直してやるつもりでないと公論は成り立ちません。
話は、言葉と文字の積み重ねで成立しています。この定義の積み重ねを崩してはなりません。論自体が破綻を来たします。
定義を定めないからこそ、常識的に遥かにおかしい事でも、法律的には問題無いような反社会的な判決も出て来るので有り、行政も同じ事をしでかすのです。
常識を常識として通す為にも、言葉遊びで杜撰な思考をしたり、誘発するのは厳に慎むべきです。