南青山D.J の削除コメント

集計お疲れ様でした。
改めて見ると全て納得の一言です。
やっぱり、一語確認すると改めてその時の配信分、当時の世間や世論状態を確認してしまいますね。
見るたびに再度考えずにはいられないし、一つ一つ考えていたらあっという間に期限日になってしまいました。
一方でもう少し考えたられたらもっといい形で投票できたかなと考えてしまいます。
う~ん。後悔というのは何度してもきりのないものですわ。

まずは今週のSPA、拝見いたしました。
まさにこの当時のバッシングに謝罪をせず、「なかったこと」にされている現状には頭に北半球でございます。
まさに女性を「産む機械」扱いしていたわけで、
あのような状況では「適応障害」になってしまうのは当然の事でしょう。
自称保守主義者というよりエセ保守どもの招待が皇室を利用し、冒涜する集団だというのがよくわかる回だと思います。
そしてこれらのことにより「適応障害」という言葉が一般に知れ渡りましたが、
その「適応障害」を明らかにサボりや雲隠れに利用する大馬鹿どもが今議員をやっている。
さらに、あれやこれやとどこまで皇室を侮辱すれば気が済むのでしょうか。
そしてそういう国賊的態度をとりながら
平均年収よりも多いボーナスを貰っているということに怒りがまた…。国民の血税を何だと思っているのか!
とまぁ怒りがきりなく湧き上がってきますね。これは。

さて、今更になってしまいましたが今回配信分について書かせていただきます。
よしりん先生の書かれたように
「われわれのできることは中村哲氏の名前を残して、その志を後世に遺すことしかできない。」
としか本当にいえません。
中村氏に対する向こうの人々の扱い、そちら日本での今までの扱いを考えると
自分周辺の生活のことで精いっぱいの我々としては正直申し訳ない気持ちになってしまいます。
中村哲氏に対する今のマスコミや政治家の態度を見ても、
「お前らが今まで中村氏に何をした?」と思うし、
一方で「英雄と鯨は死んでから価値がある」という言葉を思い浮かべずにはいられません。
そして、この件で再度見ずにはいられないのが
「VOL.299民主主義国家ではジャーナリストは謝罪しない」です。
(正直再度拝見することをお勧めします。)

そして、子供の読解力低下。
これに関してはゆとり教育以前の詰め込み教育時代から言われてきましたね~。(てことは昭和から。)
「計算問題などの知識を問う問題は素早く、正解率が高いのだか、応用問題が全くできない。」って。
てことは何十年たっていろいろ教育論争してて、全然進化しとらんやないけ~!
実は、ゆとり教育が失敗したために
「教育は100%強制的であり詰め込み、徹底的に覚えさせることである。」ということが
『正しい』ということになってきています。(ああ、ここでも大雑把な二分割思考。)
だから、もくれん先生が指摘したように
「韓国、中国、シンガポールを見習え!」ってことになっていて、
「徹底的に勉強させればさせるほどよい、ゆとりなど一切与えてはいけない」ということになり
現実は「受験に関係ない勉強はいらない」と言うのが正しい事になり
さらには受験に役立つからということで学校や塾の授業にスマホを使ってるありさまだったりするのです。
そうすれば「先取りするほど得」なのでスマホを持たせるでしょう。親も。
そして「日本語よりも英語」ということで「日本語ほっぽらかしても英語習わせる」わけです。
現実に「国語の授業以外はすべて英語で行う」という私立はたくさんででますし、
朝鮮学校や中華学校、インターナショナルスクールは日本人の入学希望者で殺到するのが現実だったりするわけです。
ようするに「いい学校、いい会社」に入れるためならば子供に包丁突き付けても勉強させるわけです。
すでに「グローバリズム」は日本人の心の中にまで浸食してきてしまっています。
そして「子供を自立させる方法はそれしかない」と思い込んでる親世代も多いです。

そして、親世代や政治家たちの世代は氷河期世代も含めて「詰め込み教育世代」だったりします。
そしてその世代は頭に知識を詰め込むために当時乱立していた進学塾
(しかも「進学塾の入学試験に合格するための進学塾」「そしてその塾に合格するための塾」(以下繰り返し。中学受験の世界ですよ~)というのがあった。狂っとる…)
などが「周りは全て敵である」「自分の頭で考えない、自分の考えを持ってはいけない」
という教育をすることが当たり前でした。ちなみにできないと虫けら扱いとか殴る蹴るは当たり前。
(「女王の教室」が騒ぎになる理由がわからないのも当然である。)
だから自虐史観をな~んの疑いも持たずに信じるバカができるわけですし、
受験社会化した韓国が日本悪玉論に染まるのも当然でしょう。
よしりん先生が指摘した倉橋耕平みたく、「学校で習った知識が絶対正しい、疑ってはいけない」などという
バカ権威主義者が出るのもまぁ、当然だったりするわけですし、
よしりん先生や押川剛氏が指摘した「強烈な挫折感を味わいながら『勉強ができた』という自負だけで自分を支え続けている」中高年ニートが出るのも当然と言えば当然なわけで。(倉橋耕平って押川氏が指摘した年齢の中におる!)
で、そういうバカ権威主義者にとっては「自分より学歴が低い輩の下で働いたら負け(数年前のSPAに掲載)」
だったりするわけです。

で、その「学校や受験で教わったこと」が間違いとしったらとたんに
極端のネトウヨやエセ保守になるのが出るのも典型ですね。
で、「周りが全て敵」なのだから「惻隠の情」なんてのがあるわきゃない。
頭の中には正解か不正解しかないわけです。最初から大雑把な二分割思考なんですよ。
(そう考えると農水次官の息子殺しの件は典型的な例といえる…こわいなぁ。)

そして「スマホの危険度は麻薬に近い」というのはまさにそうだと思うのですが、
実は今やすでに日本人はスマホなしでは生活できない時代になってしまっています。
例えばこのライジングにしてもゴー宣道場にしても
実質的にガラケーでは見ることができません。
ガラケーで表示してもほとんどがプログラム言語で終わるか最初から接続できないか、です。
そのためインターネットカフェでライジングコラムなどをガラケーで撮影して後からそれをじっくり見て考えて、
インターネットカフェに入ってコメント書いたり配信映像を見ているのがオチだったりします。
パソコンを買わないのは、時間制限なくネットにはまりこんで引きこもりになってしまいそうな気がするからです。
ですが、現実は次々とガラケーで入る情報がなくなり、見るページもガラケー止めになったりするし、
求人窓口が雑誌などが消えみんなスマホやPCシフトになっているため
例えば今現在働いてる仕事がなくなって無職になったとき、
スマホなしではそのスタート地点にすら立てないし、
不用品を売却しようにもマイナビなどのオークションにも参加できないのが現実なのです。
だから、自分で注意して引き込まれないように使うしかないんですよね。スマホは。
青少年にはほんっと、酷だわ~。

日時
2019-12-17 13:46
投稿者
南青山D.J
記事
「中村哲を従米ポチはどう見るか?」小林よしのりライジング号外
No.
221