丑三 やギ の削除コメント


緊急事態宣言なんて迷惑千万です。己は、その辺をほっつき歩いていて、おまわりが近寄って来ても、何を言われようが従うつもりは有りません。

コロナは戦争に例えられるそうですが、コロナは、まさに周囲を敵に囲まれて、根絶やし宣言され、降伏を受け入れられず、突撃しか無い状況と同じです。これを前にして、とち狂って、気ちのいのように叫んだ所で何も変わりません。生死一体を生きておるのに、とどまる所を知らず、ひたすら臆していては事態の打開は有り得ません。

ワクチンでも開発されない以上、コロナで死ぬか、コロナから逃げ惑って、追い詰められた袋小路で破産して死ぬかの、どちらかです。これが現実です。

感染防止を誠意いっぱいする中に自粛は有ろうかと思います。しかし、それを超えて、今の日本の状況で、先人たちの屍が累々と積み上げられて、市民が獲得して来た人権を緊急事態宣言で売り渡すなんぞ、とんでもない事です。コロナ死に臆して、先人たちの死を簡単に無駄にするのは、大いなる矛盾です。

過剰な緊急事態宣言で自粛すれば健康弱者は救われますが、経済弱者が生贄になって死にます。

反対に、自粛をせず野放図でいれば、経済弱者は救われますが、健康弱者が生贄になって死にます。言い方を換えれば、どちらかの弱者に死んでもらわなくてはなりません。

いずれも弱者から死にます。これを考えると、どうすればよいか迷います。しかし、感染率、重症化率、死亡率の低さを見て、更に無症状が多いとなると、やはり、経済を回していかなければならないかと思います。コロナで死亡する確率が宝くじ一等の確率と知れば尚更です。つまり、先生のおっしゃるようになります。

社会基盤が失われれば、コロナに勝ちようが無くなります。それに、圧倒的に経済弱者の方が多いです。食い扶持の困った百姓が、いくさに出て行ったように、経済弱者も食うに困ります。自粛に対する経済弱者の反動は大きいでしょう。自粛が解放されて、経済活動は再開するしかなくなります。いずれ重症患者が増えてトリアージが行われる惨状が待っているかと思います。

あくまでも公けに考えると、そうなります。けれども、私的には健康弱者が気になってしまいます。

しかし、緊急事態宣言でコロナが治まるとは思えません。また、グローバル経済である以上、日本より爆発的に増えた国際世界の影響も有ります。コロナんにゃろうは、本当にちっちゃいです。過剰な自粛で感染数が、一時的に低くなろうが、必ず、再び感染者が現れて元の木阿弥になると思います。

こう考えると、モウ、各自が感染(拡大)防止を最大限するしかありません。そして、役人は重症化した患者を救うように手立てを尽くし、自宅に健康弱者がいる軽症者で行き場の無い人に居場所を作ってもらうしかありません。

その上で、コロナに感染して闘病虚しく死線を越えたら潔く死ぬしかないです。やはり、生きている以上は、死を己ごととして考えなければ駄めぇですね。生死一体として生きている以上、取り乱したくはないものです。でも、簡単には言えないな。恐いよ〜。嫌ぁ〜。しかし、ここは自他ともに、時が来たら死ねと言うしか無いですね。

コロナに負ける事が嫌で、コロナから逃げていたら、コロナに人類社会は負けます。昔から、結核と言う死の病が有り、ストレプトマイシンが出来るまで、人は耐えていましたもんね。

結論としては、死の恐怖にくじけず闘い続ける覚悟が無ければ、コロナに勝つ事は出来ません。

みんな生きる事で勝ち組になろうとしか考えません。それで、霊柩車を見るだけで苦情が来ます。確かに、科学、医学が発達して、死は、ほんの少し遠くはなりましたけれども、生きていれば、今の所、死は避けられません。現代社会は、もっと死が身近にあった時代に戻って生きる事を同時に考えなければならないと思います。コロナ騒動は、これに強引に引っ張り戻される啓示と捉えるべきです。

みなが皆、死苦を忘れず共有すれば、見え透いた役人の悪を簡単に見過ごす事は出来ないはずです。

日時
2020-04-10 05:30
投稿者
丑三 やギ
記事
「命が大切だから専制待望?」小林よしのりライジング Vol.351
No.
101