南青山D.J の削除コメント

ようやく今回のライジング、拝見できました。
この最近の会食騒ぎ、もう何ていったらいいやら。
「突っ込むところ違うだろー!」
「そしてこれで辞職するんかい!贈収賄や舌禍発言ではやめないくせに」
もう「正しいこと」のポイントがずれまくってるとしか。

と同時にかつての「管理教育」を思い出しました。
あれも今「ブラック校則」と言われるくらい変なルール多いですよね。
「トイレの紙は50cm以上使ってはいけない」とか
最終的には遅刻しそうで駆け込んだ生徒が鉄の校門に挟まってお亡くなりになりましたが
「時間通り来ないのが悪い」
という形でしたからね。

そしてその当時
「まじめ」「正直」「まっすぐ」「純粋」というのは誉め言葉だったわけです。
だからオウム事件にしろその後次々起きた通り魔事件にしろ
「なぜあの成績優秀でまじめでおとなしい人が?」
なんていわれてましたものねぇ。
(そういう欺瞞はゴー宣でよしりん先生がぶったぎっていましたが)

そしているんですよ。そういうのを実直にクソマジメに守る、「守らせようとする」バカタレが。
やれ通学路からそれた、やれ教師のいう通りにしなかったなどなど。
「いうたろいうたろーせんせーにいうたろー」
そういう人は、最終的には周りから
「嫌われていく」のですが、
質の悪いことに彼らはこれを
「いじめられた」と解釈したりします。

そして以前よしりん先生が指摘したように
「いじめられる人は完全に善良な人であり、完全に無謬の人であり、
一切批判することはまかりならぬ、いじめられる側には何一つモノ申してはならない」
という空気が作られています。
だから彼らは 
「強引に自分の正義を力によって強制的に叩き潰された」と解釈し、
さらには
「自分に対しての批判も指摘も否定もすべて『いじめられた』」と解釈するため

そういう恨みハラスメントをずっとため込んだ、
弱者のルサンチマンが
「力」や「正当性」を得たことで
今爆発しているような気がします。

事実昭和史を調べると面白いのは
「管理教育全盛期」と「不良全盛期」が重なってるんですよね。
だから、よしりん先生が書いた
「全員が全員、四角四面の優等生ばっかになってしまって、
「こんなんやってられっか!」と言い出す不良がいなくなった。
不良がいないというのは、本当は不健全なことなのだ」
というのは見事な推察だなと。
こういう人たちは「破れ窓理論」が大好きですから。
「わずかでもミスがあってはならない。ほんの小さなミスでも見逃せば、それは大きなミスになる」
…細かいにもほどがある!

そしてその子供の時「四角四面な優等生」たちが大人になって権力もってるのが
今なのではないでしょうか?
たぶん
「娯楽は人を堕落させるから廃止せよ」
「人の言うことを聞くということは自分の頭で考えるのをやめること」
「冗談や洒落をなくせばみんな正直なすばらしい世の中になる」
とか思ってたりして(笑)
まぁ今「ゆとりは間違い」という結果から
「ゆとりを一寸も与えない徹底管理詰め込み教育こそ理想」とかいうのも出てますから。

また、今世の中を動かしている人たちは
オウムの幹部や教祖、信者たちと同世代であることも関連しているのかもしれません。
すなわち、受けてきた教育、根っこは同じ位置にあるわけです。
今を考えるとき、根っこを考えてみるべきかもしれません。

しっかしオウム事件のころよりますます退化している、
いや同類の人達が増加してしまったというべきなんでしょうかねぇ。

日時
2021-02-06 06:28
投稿者
南青山D.J
記事
「非常識なルールに従うべからず」小林よしのりライジング Vol.387
No.
177