南青山D.J の削除コメント

更新お疲れ様です。
そして、Q&Aの回答、ありがとうございました。

森発言で大騒ぎし始めたのと同時期に起きた事件が

「ベネッセやマクドの元社長にしてタピオカブームの仕掛人
原田泳幸氏、妻の歌手谷村有美をゴルフクラブで殴って逮捕」

でした。

正直、こちらの方はほぼニュースになることもなく、
ワイドショーや週刊誌などでとりあげられることもなく
(事実今週発売の新潮だの文春だのには全く掲載されていない)
最終的に「なかったこと」になってしまうのではないでしょうか。
もしかしたら、この事件をもみ消すために
必要以上に森発言を取り上げたのかもしれません。

しかし、それこそが
「日本のフェミニズム」の正体なのではないのでしょうか?
ようするに
「森首相の発言を拡大解釈するくせに」
「『教育会社の社長』が妻をゴルフクラブで叩こうが殺そうがかまわない」
わけなのです。(いや下手すりゃ死ぬでしょう。ゴルフクラブでぶっ叩いたら)

このニュースを知ると最もショックに感じるのは女性でしょう。
「こどもちゃれんじ」「みんチャレ」「たまひよ」
「全国学力テスト」「センター試験英語」などなど。
お世話になった方多いのではないのでしょうか。
それを作ってる企業のTOPがやらかしたことなのに
ニュースとかテレビ、新聞、週刊誌は口をつぐんだり、
コメンテーターもあたりさわりのないことしか言わないのですから。
そのくせ森発言にはギャーギャーと。

だから「自称フェミニストや女性差別反対者」は
嘘丸出し、自分の都合のいいことしか見ない、
「信じたいものしか信じない」のが丸わかりになってしまったわけです。

そしてこう解釈されてしまう恐れがでてしまいました。
「言葉で傷つける方が鉄やチタンで殴るより罪が重い」と。

また、今回のライジングを見てもわかるように、
受け取る側が自分の都合よく解釈しているのがよくわかります。
以前、「いじめられたと感じたらいじめ」
「いじめ加害者は100%悪い=いじめ被害者は100%正しい」
「傍観者も加害者と同じ、いやもう一つの加害者」
「その結果被害者が狂ったらどうなっても全て加害者のせい」
というのが「常識化している」と書きましたし、
よしりん先生も以前
「いじめられた側について批判めいた発言をすると、
これがまた「炎上案件」になってしまう。
いじめられる人は完全に善良な人であり、完全に無謬の人であり、
一切批判することはまかりならぬという空気が作られてしまっている」
と書いていますが、
まさに今回の森騒動はこれでしょう。

もう「発言により被害を感じたら被害者」
「被害を受けた自分は正しい=それに異を唱えることは加害者と同罪」
なのです。
そして「被害者の復讐」はそんなことでは終わりません。
10の力で加害を受けた1の被害者は10の力で復讐すれば終わりか?
否、仕返しは和差算でなく、乗除算で見るものなので
10の力を持っているものに対しては
100の力で復讐しないと全く意味がないのです。

たとえば、前回のコメントにこういうのがありました。
「転校した加害者は集団リンチをしたり、転校先の女性担任に傷害致傷をさせている。でも、保護観察処分で済んじゃった。これにも処分不服として抗告してたんだよ。全然、反省無し。これで償い金を背負わせなかったら、どう反省させるんだろう?いじめ加害者の逃げ勝ち〜。」
と書いてあるように
「(いじめ)加害者を逃げ勝ちにさせない、反省させるためにも」
『徹底的に突き止め、晒して追い詰め、圧倒的な力で叩き潰さなければならない』
ということなのです。
事実、「この世からいじめをなくす方法はいじめ加害者をこの世から排除すれば解決する。そうすれば結果いじめのないすばらしい世の中がやってくる」
と思っている人は多いです。

だから、森騒動はこういうことになったともいえましょう。
そして道場での金塚弁護士も、途中から
「過去のウラミハラサデオクベキカ大爆発」でした。
また今回の橋本聖子氏の件でこの人たちがおお甘判断したことからもわかるように、
「被害者は自分と同じ加害者から被害を受けた被害者」には圧倒的に甘いのです。
そして復讐の形は平等でなく、逆転、否「倍返しでなく乗返し」によってなされるものなのです。

いわゆるマスク警察などの「ルール信者」に関しても同じことがいえましょう。
「あいつらはルールを守らない一方的な加害者だ」
「我々は彼らによって『いつ死ぬかわからない被害』を受けている」
「加害者を徹底的に突き止め、監視し、取り締まらなければならない」
「そうすればみんなルールを守る平和な社会になる」。
最近のタバコ追放運動、あだ名禁止とかもそんな悪臭を感じます。
そしてこれ見ればわかりますが、子供のころから言われ続けた
「いじめの定義」が常識化して各々にあるということは
かなり大きな問題なのではないのでしょうか?

そして今回の森首相の話にもどりますと、
なんか言葉の文脈をとらない、
いった言葉を全くそのまんま、額面通りに受け取ってしまう。
かつてよしりん先生はオウム真理教に
「ギャグで書いたことをマジでとられて訴訟起こされた」
と書いていましたが
そんな「ギャグで書いたことをマジにしかとれない」
日本人が今や圧倒的に大多数になってしまったと感じてしまうのです。

日時
2021-02-20 23:35
投稿者
南青山D.J
記事
「森喜朗発言は女性差別ではない」小林よしのりライジング Vol.389
No.
174