追加。
よしりん先生のブログ「世論の逆襲を狙え!」
をみながら考えていることがあります。
「緊急事態宣言、ステイホーム、誰も守っていない」
これは大きい話なんですけど、一方でもう一つの問題を考えています。
それは以前橋下徹氏が去年4月29日のミヤネ屋で
「強制でなく要請なんだから守る必要がない」
「国民があまりにおとなしすぎるから政治家が動かない。
パチンコ店のようなああいうことになれば、やっと
『強制が必要じゃないか、補償が必要じゃないか』との議論が出てくる」
といっていましたが、
要するに、誰も要請を守らなくなれば
『強制するしかなくなる』というわけです。
その結果としての『命令』なんでしょうし、
ましてやそれを実行、法制化するために
この状況が事実『利用されている』のではないかと。
そして今の状況を不安と恐怖に襲われた自称被害者のかたがたが
「マスク警察だのコロナ警察だのがやかましくなるのではないか」
とすら思っています。
なにしろ今や常識化した「いじめの常識」から
「加害者が100%悪=被害者が100%善」
「被害を受けたと感じたら被害者」
てのが大人になってもしみついてるのがいるから
彼らにとっては「マスクしないで歩いてる人」は
『殺傷菌をばらまく通り魔殺人鬼』以外のなにものでもないでしょうから、
その時点で彼らは自称「100%正義の被害者」なんです。
だからSPAの自主規制でもそうであるように
「ちょっとでも琴線に触れるようなら過剰に『被害を受けた』と反応し」
「自分たちは100%正しい被害者だから何をしてもいい。どうなっても責任は加害者にある」
なんてポリコレ棒を振り回すようになってしまったわけです。
むしろこういうのは
「何もかもルールにして、それをみんな守れば問題が起こらなくなる」
という「人を人ではなく数値化したモノ扱い」している人たちですから。
かつての「管理教育よもう一度」ではありませんが、
その「管理教育があたりまえ」だった人たち
すなわち「ブラック校則があたりまえで守り続けた」世代の人って、
玉川氏とかだけでなく、今や日本を動かしている人たちなのでは?
そしてその「管理主義」を理想化しているのではないか?と思うから
平気でそんな事ができる、従う、望むことができるのだとすら感じます。