コロナワクチンの危険性を知りながら目を瞑り、日本の問題の本質をそらして解決する方便の為だけならよいです。しかし、これは玉皮、バカエ、おミぃなどの分際と同じです。真実を知りながら下賤と合わせるのは、あ奴ら以上の下賤に墜ちる感じで嫌だな。
哲学の精神も要らぬ、科学の客観も要らぬ、ただ無頭脳に、その場の人情だけに流され、唯々諾々と御上の言う事に従い、そのうち〆られる家畜が、呑気に草を喰んでいるような何処ぞの人民と同じです。
いわゆる事なかれ主義です。例えば、学校の不祥事は徹底的に隠す、何故なら、被害者は学校内の情報を知れないから、保身で自分だけが安泰でいられる。その他の被害や苦しみ、真実、人権なんぞ知った事では無いと同じ態度です。
ひたすら生を貪り、日を追い、各自、利己の確保さえしておけば、世は何事も無しの発想です。それが世の平和、発展の為との表面的な思考です。
すると、道場なんぞ要りません。コロナ論など要らないです。ライジングも読まれる必要は無いです。これらが書かれる意味も有りません。全く無意味な事をして、よしりん先生は身を立てている事になります。
利他、公けの為になる事は、出来る人だけがやればいいのでしょうか。しかし、周りが何事にも無関心なら、よしりん先生は、商売上がったりで、首も、体も細くて、ガリガリ君だけで生きている痩ぽっちのままです。真実は廃れる一方です。
何の為に、ライジングを読み、よしりん先生の仕事を我々は見るか、もう一度、考えたい所です。
高森先生のブログが、六時に戻ったぁ。
(機械の調子がおかしいです。何回か削除してしまい失礼しました。)