全面的に支持します。
以下、長駄文を失礼します。
日頃、いじめは隠れた所で行われ、身体の傷は目に見えても、心の傷は目に見えないので、被害の実態を明らかにするには、検証、論証が必要だと主張している為、小山田圭吾と下らない記事を企画した雑誌に、これがロックだとかの感覚で、話を盛ったのか、非難の圧力が凄くて弁明出来ない事は無いか、今一度、問うて見たい気がします。
しかし、己で白状しておいて、公けに晒し、謝罪をしているのですから、真実として構わないでしょう。
非難されるまで反省態度を示さなかった事は到底許されるべきものでは有りません。もちろん、虐めにも程度の大小の問題が有るのは認めます。しかし、虐めの内容が常軌を逸しています。謝罪しても絶対に許されるべきものでは有りません。
特に、被害者が後年、どのようになっているのかによって、死刑宣告されても仕方が有りません。一生、社会から隔離されて日陰者で終わって欲しいです。この者が、この件で死を選ぼうと同情しません。しかし、死は一瞬で終わり、その人間そのものは別の何かに変わってしまうので、前者を望みます。出来るだけ長く苦しみ、命果てても、許されないようであって欲しいです。
PTSD を抱えているかも知れない被害者に近づくのは、最新の注意を払ってもらいたいです。もっとも今更、謝罪されても無意味です。被害者は絶対に許さず、許されない苦しみを思い知らせてやって欲しいです。
小山田圭吾の下賤行為を過去のものとか、反省して今後は改心して、才能は活かして欲しいと言う意見が有るのは無念です。
『被害者の後年の事情によってと明確に前置きしますが』虐め、また虐待と言うのは永遠の殺人です。強姦と同じく魂の殺人です。
判決で法的処置が終わり、懲役になろうが、賠償金を払おうが、前科者になろうと、謝罪しようが、改心しようが、それは加害者の事情であって、被害者のものでは無いです。
人を殺した者が死刑となって社会に殺される事を受け入れざるおえない場合が有り、刑が執行されても永遠に非難を浴びるのと一緒です。慰安婦問題と結び付けないでください。ただ随分、過激な物言いをしまして強調したいです。
虐めは生命を奪います。虐めで自死に追い込まれるのはもっての外、これ以外でも、虐めの記憶に日々殺され続け、被害に遭わなければ存在したはずの人生を奪われている人は、物凄く多いです。
単に心を傷つけられているだけでは有りません。酷いものになると自傷行為を続けたり、転校、引越しをして、安らぐ環境を手に入れても、心の傷は、簡単に被害者を自死に到らせます。
毎日、毎日、苦しい思いをさせられて安まる事が有りません。永遠に、虐めの記憶に虐められ続け、永遠に地獄に突き落とされ続けるのと同じです。
被害者にとって 虐めは、過去の事では無く、現在進行形の虐めになっています。たった今、過去からずっと 虐められ続けて、心を蝕まれ続けているのです。これに比べれば、加害者の事情、言い分なんぞ大した事は有りません。
加害者は、一時でも加害事実を忘れる事が出来ます。(実際によく忘れ去られています。)しかし、被害者はそうでは無いのです。虐め加害者にとって、それは遊びだったのかも知れません、よく言われる些細なふざけや からかいだったのかも知れません。しかし、許されない事をしでかしているのです。
加害者の言い分を信じ、これを支持して、被害者側の心の問題や受け取り方の問題にする者がいます。厄介なモンスタークレマーだとの思い込みを流布するデマ屋もいます。
いじめは、被害者側の問題にすれば、すぐ片付きます。実際に、単なるモンスタークレーマーもいます。(大体、これはすぐ分かります。)しかし、真の被害者にとって、それは真実では無いです。虐めにも色々有ります。考えも検証もしないで、被害の構造を安易に単純化したり、己の思い込みを広げないでもらいたいです。
こう言うのに限って、いじめをトラウマにするな、PTSD になるな、鬱病になるな、死を選んだり、身を持ち崩して人生をつまらぬものにするなと言います。
けれども、これは、コロナは無症状者が多いのにコロナを発症して重症化し、挙句、死ぬなんてとんでもねぇ野郎だと言っているのと同じです。日頃、どんなに体を鍛えている人でも、病気に罹ればイチコロの人はいます。人の尊厳、生きる意味を踏みにじりながら、社会の荒波は、もっと凄い、強くなれと簡単に言うな。
虐め被害事実を訴えても嘘扱いされる苦痛も理解してもらいたいです。
何でも社会的弱者を作り上げて奉る気は無いです。しかし、虐めを人の生命尊厳の問題としないのは、被害者が悪いのでは無く、これは社会が悪いです。
虐めは悪い事だと知りながら、ずっと、己の良心の外に置いておくなんて非常に質が悪いです。認識していないのも非常に悪質です。虐めは虐待でいけない事と教育していた学校が、虐めが有っても無かった事にするのは論外です。被害者が手に入れる事の出来ない学内情報を離さず、事実を捻じ曲げ、被害妄想とするのも言語道断です。変えられない起こった事実を消そうとするな。
虐められる者が、虐められていい人間にされて、それでもいいとする社会は異常です。
実際に、そうした判決は出ています。大津判決なんぞ、虐めの因果関係や、自死をさせる予期性を認めながら、診断確定してはいない本人の先天的発達障害や、自死を自己責任にして四割もの過失相殺を採用しています。
佐賀県 鳥栖の虐め判決は、継続的な虐め行為を認めながら、学校の安全保障義務を認めていません。PTSD も法的に認められません。医者の仕事を裁判官がしています。PTSD の被害者が、法廷の中心になって表に出て来る事が、どんなに苦行か理解しません。しかも、破格の賠償額を設定して、訴訟費用を吊り上げてまで覚悟を持って挑む勇姿を目に入れられていません。
苦渋の和解に追い込まれた鹿児島県出水市、賠償放棄、訴訟放棄までして教育行政の独断では無く、第三者委員会で調べて欲しいとの和解案を小役人が議会にもかけず潰した宮崎県 新富町。これらは虐め隠蔽が はっきりしているのに、十年経っても、加害側が直接謝罪する気は認められません。
虐めは加害者が一番悪く、学校を責めるなとの単純思考の意見も有ります。しかし、加害を隠して保身に走り、密室的学内情報を隠されて、虐め隠蔽されては加害者の責任を問えない事を分かっていません。
小山田圭吾の下賤行為は、たまたま、大衆の関心をかって炎上し、此奴は社会的制裁を自業自得で受けました。しかし、目に入れられていない虐め、虐待、パワハラ等の問題はほとんどです。今回、障害者団体が声明まで出しました。
それなら、大津判決のような精神障害者を軽んじ、明らかな人権違反をしている判決に、とっくの昔に出して欲しいです。大津判決は、判例を乗り越えて、虐めの予期判断を覆す判決であるべきでした。
どんな問題でも矛盾が多くて困ります。
人の関心遊行次第です。無頭脳下賤です。
そんな己もむらが有るのを認めなければなりません。