生放送、お疲れさまでした!
途中で切れたのは残念でしたが痛快でした!
マジで週末の精神安定剤、
テレビや世間に流されそうになる防波堤でした。
いや以前YOUTUBEの件があっただけに
なんか妨害なり圧力があったものかと・・・
一方で止まった状態で人数が増えてくのも
また痛快さを感じました。
次回また時間を多めにとってこの続きの話、
話したかったことを放送してくださると幸いです。
さて、失礼ですが、この場を借りて返事などさせていただきます。
>221
きちんと人の発言を読んでいない、一部にヒステリックに反応してのがまるわかりです。
「再度わかりやすく」説明いたしますが、
190では発生している現状、起こっている現象を含めて書いております。
そしてこれについては、われらがよしりん先生も被害を受けています。
「小山田と同じ学校だった小沢健二も同罪!
そしてその小沢を推してた小林よしのりも同罪!」と。
さらには「小山田が手掛けてたカヒミカリィがOPやってた
『ちびまる子ちゃん』を見てた人も同罪!」
といったように、
「小山田がクズだから、それと関わった人、物すべてクズ」という方程式が発生し
そしてごれは、五輪反対派にも強い影響を与えました。
「五輪運営者も、参加者も、見て楽しんでるのも、小山田と同罪だ!」
といった発言が蔓延する状態となってしまいました。
まさにこの状況を証明したのが
倉持師範のブログに取り上げられた
『アスリートは筋肉バカの無能』という発言、
「めざまし8」での古市氏の
「僕は運動できないから、オリンピックとか
ものすごく『肩身が狭かった』んですよ。
『こういうことを堂々と言える』時代になったんですね」
という発言。
これらの事を見ると、倉持師範が指摘するように
「勉強ばっかたってきた学歴だけ高く運動のできない人々のスポーツヘイト」
の方から見れば
五輪をはじめ「スポーツの祭典」というのは、
『運動のできない人に対するいじめ』
『勉強の世界から脱落した頭の足りないいじめっこ筋肉バカの祭典』
であり、
その「肩身を狭くさせられた=いじめられた」ことに対する復讐のような気もします。
変な話を言えば、小山田事件は
こういう声に力を与えてしまった。といってもいいでしょう。
古市氏が言っているように
「こういうことを堂々と言える時代になった」わけです。
実質、その根本とも言えるのが
尾木ママとかマツコデラックスとか中村うさぎとかが言ってて、
いまや一般常識となった
「被害者がいじめと感じたらいじめ」
「傍観者も加害者と同じ犯罪者」
「いじめ被害者はどんな理由があっても100%正しい」
これは極端から極端に写っただけで、
実質「いじめを解決しよう」とする努力を完全放棄しています。
そのためちょっとした「叱責、注意」とかだけでなく
「アドバイスや指摘、厳しい言い方、励まし」に至るまで
『いじめられた』ととられる、あつかわれるようになってしまいました。
その結果としての今や常識化したポリコレの蔓延です。
またその結果「加害者は100%の悪」
なのだから
また、この加害者本人だけでなく
加害者がわずかに関わった人まで
「地獄の底まで叩き続ける、晒し続ける、一家心中まで徹底的に追い込む」という事が
というのが『正義』という風潮は常識化しようとしています。
これには復讐の論理から説明しなければなりません。
というのも
1の人が10の力で被害を受けた場合、
10の力には10の力でなく「100の力」で返さなければ意味がないのです。
でなければ、同等のダメージを与えたとはいえません。
「倍返し」ではなく、「乗数返し」なのです。
そして相手が多いほど、時間が経過すればするほど、
乗数は200、1000、10000・・・と増していくことになり
その結果が一種の大惨事となって巻き込まれることになるの多数となりますが
(例:コロンバイン高校とかだし、ある意味ナチのユダヤ人絶滅政策も復讐といえる〈但し本人主観〉)
そしてもう一つは常識化した
「他罰的思考」でしょう。
いわゆる「社会が悪い」といったような甘えですが
これには「自分が被害者である」ということが前提としてあります。
だから以前ポリコレを
「いじめられっこがいじめをしている陰湿な状態」と書いたのです。
現実に、「世の中からいじめをなくすためには
『害虫や病巣を取り除くのと同じ』で、いじめ加害者を全員殺せばいい」
「そうすればいじめはなくなるし、いじめられた人間が自殺したり犯罪者になることもない。めでたしめでたし。」
という結論は起きています。
『100%正しいことが確定したいじめられっこだから
何をいっても、何をやっても正しい』
というのが常識化した結果でしょう。
だから、今やポリコレや被害妄想が正当化されて
ちょっとした注意や指摘、ルール違反の制裁まで
いじめと認定できるようになり、
ちょっとした冗談までもいじめとされる
世の中になってしまった以上、
(現にドッチボールやあだ名が「いじめを助長する」と禁止になってきているし、
公園や除夜の鐘が「うるさい」からとっ苦情でなくなってきている)
いじめとされている出来事が
本当にいじめなのかどうかはちゃんと考えろ。
その前に何があったのかとか、
被害者(自称含む)に全く問題はないのか、
加害者とされた側は本当に加害者なのかと。
結果としては今回のように加害者が100%悪いこともあるし、
逆に被害者が自称被害者である場合もあると。
面倒くさい話ですが「簡単な道」に逃げるなと。
よしりん先生も以前のライジングで
「大雑把な二分法をやめろ!
単純な白か黒かの判断しかできなくなって、
社会の不条理に対する覚悟について、
一切考えられなくなっていくようなことは、決してあってはならない!」
と書いています。
しかし、現実はいじめに限らず
極端と極端、その二者択一しかなく、
もうその間でバランスを取るという発想がなく
微妙なことが一切理解できない。
「正解とされた結論にむかって他の意見を排斥し、その正解に向かって突き進んでいく」
というようになっています。
これらをまとめて、現実的には非常識を常識によって駆逐するのではなく
反対側の非常識によって駆逐している状態が起きているとかいたのです。
くり返しいいますがこれは今のコロナ問題に絡めても言っていることです。
わかりまちたか?
そして、周回遅れというのはやむを得ないでしょう。
私は常にそれらの番組を見ていられる暇人ではありません。
そして、常にここにしがみついてチェックできるわけではありません。
後になって見れる時間に録画したのを見て、チェックしているだけです。
>230
はっきりいうなら、橋下さまの影響力は、東国原とかの比ではありません。
あなたの150での「ミヤネ屋」での報告
『橋下徹は2類から5類に今すぐ落とさずとも保健所がやってたことの一部を開業医に任せろとか5類にしておくことで患者の公費が増えると長尾先生とは異なる指摘をされておりました。
そして、「国民に制限を求めるだけではなく、先に医師会や開業医の方々に義務を求めろ」と仰っておりましたが玉川徹のように野戦病院を作れだの知事会に忖度して指定感染症よりも先にロックダウンできるようにしろとは言っておりませんでした』
を見て「へぇ」と思い、
私も録画した金曜日の「ミヤネ屋」みました。
そしたら
「国民一般に罰則付きの義務がないのは、
先進国で日本だけなんですよ。
僕はずっと前から『マスクなしで会話する』ことを、
則付きの禁止条項を入れて、国民に義務を課すべきと言っていて。
いろんな政府与党の幹部に伝えるんですけど
『憲法上、私権制限は難しい』って言うんですよ。
だけど、飲食店にはものすごく強烈な私権制限をするわけでしょ?
非常事態で、
どこかで国民の自由を制限しないといけないんだったら、
政治家は腹をくくって法律を作ったらいいわけじゃないですか。
飲食店、医療界、国民に対しても義務を課すってことをやればいいんですよ」
「メディアの方もオリンピックの方はこれまで一生懸命応援してましたけど、
40代、50代で重症化しているという実状を
医療現場の方がひっ迫しているという状況を伝えることで
恐怖心というのが生まれてくると思うんですよ」
「政府のメッセージというものは国民に届かない。自粛を僕は否定しません。
人流を抑制することを成功すればいいいんだけど、
メッセージでは動かないということを前提に何をすればいいのか。
医療体制の強化ですよ」
「非常事態なんだったら、国民の判断にゆだねるということは
本当はやっちゃいけないんですよ」
・・・・・・橋下さまのこれらの発言、全く無視しておられますね。
以前、「橋下徹の言うことを全て正しいとはおもっていません」
と書かれたと思うが、
それは「橋下さまのいうことはほとんど正しい」
ということでよろしいでしょうか。
あなたの150での報告を見るとそういっているようにすら感じられます。
あなたは、日本は橋下さまのいうとおりにするという考えでいいということですね。
そして「めざまし8」「ゴゴスマ」「ミヤネ屋」「イット!」「Mr.サンデー」
(レギュラーがコロナ前と比べてすごく増えたから松本人志とかに「もうけすぎやろー」と突っ込まれてる)
などでも紹介されている通り
もはや橋下さまのおことばはすでに意見とかではありません。
素晴らしき『提言』なのです。
以前にも書き、221には周回遅れともいわれましたが、
その周回遅れでありながら、
こちらではそれらの発言が全くといっていいほど話題にのぼっていません。
むしろ
「橋下さまはモーニングショーを批判している」
「こちらでは、そしてテレビでは橋下さまの発言に突っ込みがない」
「よって橋下さまのいうことは正しい」
というふうになってきています。
現実、読解力がない人が多いせいか
批判をしない人=正しい
ということが常識になっています。
とはいえ、感染症指定を下げようとする動きが出てきたことは喜ぶことかもしれません。
しかし!
現実にはそれが「ワクチン接種による集団免疫の達成」を前提にしていて、
「ワクチンの義務化法制化」
「マスクや衝立などの感染症対策の徹底、法制化」
「コロナ追跡システムなどの監視法制化」
などとセットになっています。
『あえてここで皆様に問います』。
それでも「5類になる」のならそれでいいですか?