ワクチン肯定派に転じて、接種後、息子さんを失くした宮坂昌之さんより、しろくま隊長の御兄弟の方が素直だ。専門の勉強、知識を詰め込んだ人でも、毒ワクチンの一面性しか捉えられず失敗しています。そりゃ科学者の手で原爆が作られて投下されるはずです。偏差値が教養になって人間力になっていません。
「重篤な副反応リスクは100万回に数回程度」では無く、もっと頻度が高いのではと考えます。宮坂昌之さんの息子さんは、それに巻き込まれたと思います。
目前で、息子さんを毒ワクチンで失くされても、宮坂昌之さんが、毒ワクチンの肯定を維持して、科学者として凹まないのは、己の変節を認めると、自己の精神が崩壊するからと思います。
例を見ます。
子どもの自死は、異常な精神状態の末だとされています。全てでは無いです。
普通、親なら何故、子どもが自死に到るまで、追い詰められた子の心を気付いてやれなかったかと悔やんで大きな苦しみを味わいます。そして、子に何が起きたかの真相を知りたがります。大体、この一徹です。
自死の原因を追って、賠償金を求めても裁判では割に合う金額は、とてもじゃないが求められません。命と合うはずは無いのです。
ところが(例えば)明らかな虐め加害が有ったとしても、己の子どもは自死と言う間違った選択を正常な頭でしたのが悪かったと強情に真相を知ろうとしない親もいます。
親は、子への加害事実を責め立てるばかりが能の人ばかりでは有りません。子の思いに気付いてやれなかったと後悔の苦しみに喘ぎ、その良心の呵責から、裁判でも、賠償金を放棄し、訴訟継続を放棄し、真相だけは、どうか第三者で調べてくれと訴える人がいます。それでも、隠蔽工作で思いは打ち砕かれるのが現実です。虐め加害の責任を認めると、己らの履歴に傷が付くからです。退職金や社会保障金、恩給に影響が有ってもならないからと思われます。
同じように、宮坂さんも医者として、己の責任を認めて、自責の念から苦しみたく無いので、毒ワクチンを打たない派から、接種派への偏向を認めたく無いのかと想像します。
副反応氏の人数が、おそらく 1500人を越えていても生命至上派の多い無頭脳で能天気なワクチン肯定派がいるのは驚きです。この犠牲者に、もう子どもがいるかも知れません。
まさに、間違いを認めて謝ると氏む病気だと思います。己の臆病を認めたく無いヘタレだと決め付けて開き直ります。
勇気が無いと言うのは、学問的真実を捻じ曲げます。副反応氏の人数を見て、これは仮でもいいから止めなきゃならないと普通は思うのが常識です。そうでないなら、調理師免許も、飲食店営業許可制も必要としないと主張しなければ筋が通りません。
医療は科学です。しかし、実証されたものだけが科学では有りません。事実を見て、多面的に結果を予想する科学的方法を知らねばなりません。まして、人命に関わる事に無頓着なのは許されません。
コロナワクチンもどきは、すでに個人個人の考えに委ねられる領域からはみ出しています。これだけの副反応氏の疑い人数を出しがら、素人にワクチン接種の選択を迫る医療もおかしいです。また、これを認める接種者も愚かの極みと断じます。事実を見たくない小心者以外の何者でも有りません。弱さが悪と言う面を知りません。
不慮の露命に苦しむのが浮世の常なのに、愚か者の非常識、しかも科学を学んだ者の非常識で、目前の事実を多面的に考察出来ず、己の確信が客観と違うからと言って、これを認めない臆病で小心でヘタレな者の誘導に殺されるのを受け入れる無矜恃を軽蔑します。
このような者らが、よしりん先生や千葉真一の自尊心、矜恃の痩せ我慢を理解出来るはずが有りません。頭蓋の働きが畜生以下の屑です。
人の命は肉体に有るだけでは無いです、精神活動を得ているなら、精神の中に命の躍動が有るわけで、その精神は形が無いのと同様に、形無き人の在り方、尊厳を志向するはずです。これも命です。しかも、肉体の命を司ります。これが破れたら自死も有り得る由縁です。
人間は個体の維持だけが命では有りません。個体の存続だけを求める命は畜生な命の分際です。命の尊厳、自尊心、矜恃の心が無ければ、人の命とは言えません。この心を保たないと、よしりん先生の痩せ我慢を理解出来るはずは無いです。何より下賤以下の馬、鹿、畜生です。
何も撃鉄を挙げた拳銃を頭蓋に押し当てられても、拷問を受けているわけでも無いうちから、少しは命の尊厳への思いは芽生えないのかと思います。人の慢にいいようにされて何も感じないのは狂っています。
副反応で、精神を錯乱させられ、気ちのいの振る舞いのように暴れさせられてなお、コロナに罹るより、毒ワクチンを打ってよかったと思う矜恃の無い者を(トンデモで)紹介されましたが、此奴は生きていない方がよかったと思います。人の精神を奪われても平然としている者は、すでに、人間の命を生きていません。ウォーキングデッドです。
事ここに到って、まだ新コロワクチンの選択に多様性の価値を見出すのは畜生の分際です。いや、尊厳を徹底的に砕かれた畜生の思いさえ理解していません。一度、徹底的な理不尽を受けて、真の畜生に成り下がるのを勧めます。命の尊厳を知る事が出来ます。それを拒むなら、バイオハザードのように頭蓋を撃ち抜かれて活動を停止する事です。
コロナより、人の尊厳を失ったバイオハザードの人間の存在を否定します。