こいら の削除コメント

何度も立て続けにコメントして申し訳ありませんが、日テレの「明日、ママがいない」に対するバッシングが起こってるのも「一人でいることが寂しい」人間が増えて、「綺麗な言葉や表現にしか触れたくない」というプラトニズムが蔓延していることと無縁はないと思えますね。
私はあのドラマは見ていないのですが、おそらく児童養護施設の真実というか、今まであまり明らかにされていない暗部みたいなものを忠実に描いてしまったからこそ、抗議というか批判が相次いでいると思います。
私自身PTSDサバイバーで、社会福祉の現場のお世話になったこともありますが、医療や福祉の現場に「弱者(患者や障害者、あるいは子供)とは天使である」みたいな間違ったプラトニズムに侵された人が少なからずいたのも事実です。そういう「弱者は天使です」みたいなものに対する違和感が、このドラマの作り手にはあって、それを表現で打破したかったのではないのかな?とも思うのです。
むろん、今までの弱者に対するイメージを覆して、人間の醜い部分と向き合わせる内容であったために矢面に立たされた、とも言えます。実際に傷ついた児童養護施設出身の人もいたそうですね。
よしりん先生が「社会は保育器みたいな場所ではなく、誰もが傷つくことからは逃れられない」という真理をゴー宣で描かれていて、なおかつ「そこで闘う人間は美しい」ともおっしゃってます。確かに自分のやましい部分や醜い部分と向き合うことはしんどいことかもしれませんが、それを乗り越えて始めて大人になれるのかな?とも思えるのです。プラトニズムに逃げるということは、自分の弱さや醜さから目をそらしているようにも思えるのです。
弱者をめぐる表現に対し、熊本市長などの公的な人間が介入して「弱者はこう描くべきだ」と決めるのはおかしいな、と思います。それは表現の自由に対する権力の介入です。
この件に関しては、是非色んな人の意見を聞いてみたい気がします。
長文失礼しました。

日時
2013-12
投稿者
こいら
記事
「『ポエム化社会』にある深刻な問題とは?」小林よしのりライジング Vol.70
No.
57