叢叡世 の削除コメント

早速ですが、どうもまたアマゾンで大東亜論にヘイトレビューをかます馬鹿たれが出て来たようですね。
立花京太とか言う馬鹿たれが本書とは無関係なヘイトレビュー書いてたようですが、今ではそのレビューを消しているようです。
キャッシュが残っているので、どんなトチ狂った事を書いているかいいサンプルだと思います。

~以下引用~
24 人中、6人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 1.0 まだまだこれからです小林さん, 2014/1/8
By 立花京太
レビュー対象商品: ゴーマニズム宣言SPECIAL 大東亜論 巨傑誕生篇 (単行本)
小林よしのりの著作の売り上げは10年以上前のゴー宣・戦争論のときと比較してかなり落ち込んでいるのだろう。
これは断定ではなく推定されるという話だ。
というのも、競争力は競合する他の有力コンテンツが少なかった時期と比較して、相対的に低下するのが市場の原理だからだ。
誰しもが無限の時間と財力を持てない。したがって、いわゆる「右派」の市場において、
ゴー宣と競合し得るコンテンツが比較的少なかった当時と今の市場の動向を検討すればそれは自明ということだ。
競合し得るコンテンツとして想定できるのは「マンガ嫌韓流」以来の嫌韓モノや、三橋貴明氏の一連の経済シリーズ、
他にも竹田恒泰氏の著作があり、百田尚樹氏の「永遠の0」(ゴー宣・戦争論と同じ主題と考えられる)は小説に映画に大ヒットを飛ばしている。

これはかつてゴー宣が一般向けの保守系コンテンツの市場にある程度影響を与えた結果とも評価できる。
保守論壇系の書籍もそういった購買層への販売実績が伸びているのではないか。
書店に足を運ぶたびに新刊コーナーに保守系の書籍が平積みになっている光景を眼にする。
以前、小林自身が出版界への自身の貢献を誇るセリフをマンガに載せていたが、
それはそのままゴー宣のコンテンツとしての競争力の相対的な低下に繋がっているものだと推察される。
もはや小林は「右派」の市場においてフロントランナー足り得ないのである。

さらに大きな影響を競争力に及ぼしているのはインターネットだろう。
ネットの言語空間で保守系や過激な右派言論が展開され、それがブログやSNSで拡大し、
現実政治と相互に影響し合っているのが昨今のリアルである。バーチャルなものとしてのネット論壇が、
今や現実政治へも深い影を落としているのがゴー宣・戦争論当時との際立った違いだろう。
過激さとライトな層への訴求力がひとつの売りでもあったと考えられるゴー宣は、ここでも相対的な地位低下を強いられたと推察される。

しかもネット論壇に触れる時間が増大すれば、それだけゴー宣購買層がゴー宣へ私財を投じる機会も減るはずだ。
その風潮は近年において加速度的に高まっているが、その代表が三橋貴明の活躍であろう。
彼が行う世界経済の指標分析と政策提言は非常に明快で分かりやすく、またコンテンツとしての説得力も具備されていると思われる。
今まで政治思想や歴史の問題が主だった保守系・右派の購買層へ新しく魅力的なコンテンツとして訴求力を発揮したのであろう。
彼の近年の活動がネット世論を後押しし、経済政策を主要な争点に掲げた安倍氏の第二次政権誕生に一役買ったのではないだろうか。

そうした昨今の保守系コンテンツ市場において、小林が苦戦していることは想像に難くない。
ここ数年のものを見てみても、例えば皇統問題において女系公認を唱え保守を二分した騒動にしても、
脱原発論の展開にしても、果てはAKBへの傾倒も、新たな市場を開拓しようという中小企業経営者の努力かもしれない。

今回の大東亜論にしても市場の新規開拓のマーケティングなのであろう。
その努力には素直に敬意を表したい。

しかし、マンガ作品として素直に見れば高評価は個人的には付けられない。
保守論壇系があまり注目していない素材としての大東亜論なのであるが、
明治から昭和期の人物の言動を引っ張ってきて絵を付けて情緒的なセリフを書いて構成し直しただけのもの、というのが正直な感想だ。
もともと小林よしのりはソースを分析して普遍性を抽出して一貫したテーマを立てるということが苦手なのではないか。

先述した経済的なテーマにしても財政金融政策への無知、あるいはTPP問題を単なるグローバル化としてしか評価できないという分析能力の低劣さが
ブログや書籍で散見される。全てにおいてとは言わないが、これが小林よしのりの根本的な弱点ではないだろうか。
その結果、競合者との市場競争に弾かれ、新規の市場開拓に走らざるをえない一因ではないか、という疑義がある。

この大東亜論においては、「昨今の保守系言論人やネトウヨなどと玄洋社の立場・質は全く違う」という趣旨で保守・右派系を批判し、
現状の右派系は「反中・嫌韓」と「親米グローバリズム」だから、という設定を強引に作り上げて玄洋社の人々を賛美している。

玄洋社の人々が当時の歴史の内在的論理の下で独自性のある思想を形成し行動したのは理解できる。
しかしあまりに「現状」の分析がお粗末に過ぎないだろうか。

現状分析がお粗末であるから当時の玄洋社の人々の言動との対比に失敗して評論が成り立たなくなっている、
そして目に付くのは絵とセリフのみ、というマンガとして面白くない作品になるのではないか、という疑義を感じる。

他に目に付く点はネットの右派言論への徹底的な呪詛である。
小林はインターネットを通じてナショナリズムへ目覚めたものをネトウヨと初めて定義している。
しかしそれも論述が極めて不明瞭な勝手気ままな定義づけである。何よりゴー宣読者が十数年前に同じような言葉で批判されていたことについてはどう思うのか。
さらに、以前にゴー宣読者を大手新聞に批判された記事の件を忘れたかのように、
若い女性が嫌韓のデモに参加したりインターネットの右派論壇にハマっている姿を報道した朝日新聞記事を引用し、
カルト宗教信者になぞらえて猛烈に批判しているのである。

これには小林ウォッチャーの一人として暗い愉悦を感じる反面、あまりの整合性の無さに少々気勢が殺がれる思いがした。
なるべく小林には踏ん張って踊り続けてもらいたいのだから、まだ完全に壊れて欲しくはないのであるが。
~引用終わり~

どうですか、おかしいでしょう?
ポエムです。
まるで都知事選の泡沫候補のアジビラのような常軌を逸した書き込みです。

日時
2013-12
投稿者
叢叡世
記事
「『脱原発は都知事選の争点ではない』は本当か?」小林よしのりライジング Vol.71
No.
19