《「大東亜論」の感想》
独身のころ、ゴー宣を買えば、真夜中まで一気読みしてましたが、今は家族があるため、そんな無茶はできなくなって、大東亜論は少しずつ読み進めていきました。けれど、読みおわるたび、ふーっとため息、読んでる最中は息するのも忘れてしまうのです。
もともと、ゴー宣の人物論は好きです。パールや瀬長亀次郎など生き生きと描かれていて、さすが漫画家だと感じます。中でも最高傑作だと僕が思っているのは「昭和天皇論」です。昭和天皇のお覚悟と民を慈しむお心、温かい気持ちになりました。
しかし、今回の「大東亜論」は読めば心が熱くなる、「昭和天皇論」に匹敵する名作だと思います。
頭山満をはじめ、箱田六郎、来島恒喜、苅藻から伊藤博文、井上馨、さらには後藤象二郎まで、想像で描かざるを得なかった部分も多かったはずなのに、彼らの人物像は実に的確で、彼らの起こした行動との間に全く違和感はありませんでした。
特に頭山満の描き方、怖さ、優しさ、豪快さ、一人のいろんな面を重層的に描き、非常に深みのあるキャラになっていますね。
そして、頭山に限らず、とてつもない思想や行動力を持った彼らが本の中を所狭しと暴れる様は見ていて面白く、爽快で、時にずしんと心に響くものでした。
僕は人は自分の器の範囲でしか、他人を推し量れないと思っています。だから、「大東亜論」に出てくるようなスケールのでかい人たちのことを戦後民主主義にどっぷり浸かった中島岳志のような学者や作家が理解できるわけないのです。そういう意味では、よしりん先生のような人が現代にいてくれて良かったと思います。
最後に、「大東亜論」で好きな部分を二つ挙げます。
一つは頭山満と箱田六郎の対決です。自分の中にあるほんの小さな欺瞞や弱さ、それが頭山の前では白日のもとに晒され、向き合わされる。正直、怖いと思いました。僕だったらおしっこ漏らしたかも…。けど、箱田はその欺瞞に真摯に向き合い、最後にはそれすら飲み込み、自ら果てる…。この章は異様な凄みに満ち溢れていました。
二つ目は頭山と苅藻の話です。彼らの情ある交流に心が惹き付けられるのです。(エロが好き!という訳ではないですよ…)新造のお光が苅藻に言われて、涙ぐみながら部屋を出ていく場面は今でも思い出せば、涙が出てしまいます。(実は今、鼻がツーンとなっている…)そして、苅藻の過去の話、凄まじいまでの貧困ぶりですね。罪悪感と現状への感謝、彼女もまた複雑で魅力のある人ですね。彼女のために章を割いた理由が分かる気がします。今は頭山の少年期が描かれているので、しばらく苅藻は出てきそうにないですが、再登場希望!!
ちなみに、頭山が「ヘタクソ」との事実が判明したときは笑いました!(いや、「ヘタクソ」は花魁の意地の一言だってことは本当は分かってますよ…)