:ひなたなの さま
> 現代人は「倫理」という言葉を保身のために
> 使いすぎているのかもしれない
初めまして。仕事上「○○倫理」の一部に携わる機会が多いのでコメントさせて頂きます。
は極めて重要な指摘だと思います。一般にいわれる「○○倫理」というのは大抵、明文化・条文化されており、それを遵守することが基本とされますが、同時に明文化することは、倫理的かそうでないかの判断を誰もが考えないで済むよう「効率的に処理」しようという表に現れない意図が含まれがちです。
「○○倫理」は本来、それを必要とした背景にある経験や歴史、文化や信仰に基づいた常識やモラルが十分考慮されるべきですが、明文化された時点で、これらの重要な評価指標が覆い隠されがちです。その結果として、「○○倫理」といったものの個別条項が一人歩きしてしまい「保身のため」に使われたり悪用されるケースが発生します。そこに書かれた条項を機械的に遵守することよりも、都度、孤独に耐え独りで十分考えて判断することの方が圧倒的に重要なのですが、考えずに済まそうとする需要と供給の馴れ合いがそれに拍車をかけているのかもしれません。
玄洋社の憲則が極めてシンプルに構成されていたのは、個別事象について教条主義に侵されることなく孤独に耐えて自ら考えて判断し行動する苦しみを捨てない覚悟の表れなのかもしれません。物事を適切に考えるための指針を示した素晴らしい三条項だと思います。逆に、そういった観点からは、経団連の「企業行動憲章」辺りが最も悪い例として挙げられます(アッカンベーの舌が丸見え過ぎて笑えます。何処の誰が書いたのか顔を見てみたい)。