叢叡世 の削除コメント

>>63
ひなたなのさん。
それが適菜収の本音なんですよね。

一応彼の問題の文章を転載しておきましょう。

 すぐに「対案を示せ」と言う人がいる。「解決策を示さないのは無責任」というわけだ。
 たしかに脱原発を唱えたときに、対案を示さないのは無責任以外のなにものでもない。
 しかし、対案や解決策を示すことが無責任になるケースもある。
 その代表が哲学だ。
 そもそも対案や解決策を容易に示すことができるなら、哲学上の問題にさえなっていないはずだ。この2500年にわたり人類が考え続けてきた難問に対し、安易に対案や解決策を示すほうが無責任である。いや、むしろ哲学は結論を拒絶しなければならない。
 ドイツの精神科医・哲学者のカール・ヤスパース(1883~1969年)は言う。
 「哲学の本質は真理を所有することではなくて、真理を探究することなのであります。哲学とは途上にあることを意味します。哲学の問いはその答えよりもいっそう重要であり、またあらゆる答えは新しい問いとなるのであります」(『哲学入門』)
 ヤスパースは、形而上学、合理性、統計的なものに回収されない《実存》について考えた。唯物論でも唯心論でもすべてを説明することはできない。主観がなければ客観は存在しないし、客観がなければ主観も存在しない。人間はこうした矛盾を抱えているわけで、科学的な知により世界を説明したつもりになっても、最後には《実存》の問題が残ってしまう。
 「科学的精通によって得た知識をもって、存在そのものと存在全体の認識だと見なす者は、科学的迷信にとらわれた者です。もはや驚きを感じない者は、もはや問わない。もはや秘密のあることを知らない者は、もはや探究しません」(同前)
 『哲学入門』は1949年、ヤスパースがスイスのバーゼル放送局の依頼に応じて行ったラジオ講演を書籍化したものだ。哲学の入門書というより、ヤスパースの思想をわかりやすく述べたものである。本書でヤスパースは、《本来の自己》に向き合う方法について、神、道徳、科学、歴史などを題材に述べていく。
 哲学は「知的可能性の限界」から出発する。結論に安住した瞬間に、それはドグマ(独断・教条)となり、哲学としての価値は失われる。
 また、思想は万人向けにマニュアル化できるものではない。
 「人はすべて自分自身だけでしか答えを発見することができません。答えは単に規定的な内容として決定されたり、究極決定的に規定されたり、外面的であったりしてはなりません」(同前)
 ヤスパースは哲学を学ぶ若者に対し、「試みの態度」を守らなければならないと諭した。そこで重要になるのは、「吟味し、訂正すること」であり、「偶然性や恣意(しい)的」なものによらず、あらゆる試みにより見出された「重み」である。
 思想にも重みと寸法があると言ったのは三島由紀夫だった。
 釣師がさまざまな釣竿を、剣道家がさまざまな竹刀を試すように、思想が形成されるときも、試行錯誤が繰り返され、自分に適した寸法と重みを発見する。こうした体に馴染(なじ)んだ思想と付かず離れず暮らしていくことが哲学なのであって、「正しい教え」にすがりつくことではない。身の丈から外れた思想に飛びついたときに、人間は劣化する。

実は、『適菜は原発推進学者の主張する「正しい教え」にすがりつくだけの愚民』なんですよね。
はじめっから先生は指摘してるんですよ。
これまでの適菜の謂いに従えば、このように導き出されるんですよ。
んで、後は言った、言わないの繰り返し。
愚民は思考するなと言うのが適菜の持論でしょうから、これが本音ですよ。

思ってもない事(これって哲学とかでよくある深層心理と言うんですかね?)を悟られると、「いつ言った、言え!」と逆切れするわけで。
人が逆切れを起こすパターンは深層心理を抉られる事にあると思います。
卒業文集晒されるようなものでしょう。

そしてまた適菜のブログのコメント
 ちなみに私は、これまでいろいろなところで書いてきたとおり、脱原発派でも原発推進派でもありません。私が安倍総理の原発推進を批判しているのは、私が反原発派だからではありません。アンダーコントロール発言等、嘘が多いからです。
 また、私が山本太郎の脱原発を批判しているのは、私が原発推進派だからではありません。わが国を「テロ国家」と呼び、非科学的なデマを流しているからです。

こうやってコメントを残して自身の立場を表明する態度も深層心理を抉られたから取り繕うための方便、俺様が偉いと言うだけの表れでしょう。
所詮、適菜もまた「人の子」ですよ。

多分、訳知り顔でコメント残している適菜のファンも実のところ良く判ってないんじゃないんでしょうか?
ファンも愚民なのに自分達は適菜の事を良く判っている特権階級だと思い込んでいることでしょう。

日時
2014-01
投稿者
叢叡世
記事
「『建国記念の日』に反対した三笠宮崇仁殿下の情念」小林よしのりライジング Vol.74
No.
83