Dr.うさぎさん
御理解有る御言葉ありのとうございます。
抽象的な言い方が有って、分かりづらいですね。そして、頭の空き容量が出来てから読むとキツい言い回しです。もっと次からは工夫します。御容赦ください。反省しています。まことに痛み入ります。
要は、科学者が科学、人類の発展の為に正義感からの善意でも犠牲者に糸目をかけないなら、被害を被る大衆は、そう言う科学者を命懸けで滅ぼさなければならないと言う意味です。忽那賢志が、己の娘を犠牲にしてまで国民に毒ワクチンを勧めるなら、米国がビンラディンを急襲して〆てやったように、増長欲で固まった科学者を〆るしかないと言う意味です。そんな科学者は、社会に要らないのは当然です。
一体、何の為に科学を志すのか?人類の福祉向上の為でしょう。これを忘れ、人を犠牲にしまくれば、科学発展は人類に素晴らしい成果をもたらすと言うなら、それは科学と言う智識活動では無く、気ちのいの精神活動でしか有りません。
三味線さんが、 で
可逆性検証(逆の立場であれば許容できるかという検証)と言う言葉を教えてくれました。これには注意したいです。
Dr.うさぎさんは、バブ峰と同じ眼を持っているようだと大袈裟に申しましたが、他の目をもって己の目とするなら、バブ峰に毒された国民がワクチンファシズムを構築したのと同じ現象が起こる事を申し上げたかったまでの事です。Dr.うさぎさんを奴らと同一視しているのでは有りませんでした。第一、格が違い過ぎます。色々、思いもよらない事を勉強させて頂いています。下賤野郎と並べて申し上げ、大変失礼をしました。
その他、色々混雑を書きましたが、暇があれば解釈してください。何か、偉そうに書いたので、これ以上、補遺すると余計に訳が分からなくなります。後は、省かせて頂きます。まい、畜生のたわごとと思ってください。
(注:やギ は、人間に擬態はしていますが畜生です。下賤より下位です。)
我、人を見るが如し。
自分で自分を見る態度を忘れてはなりませんね。高尚な志しを持っていても、逆に愚劣なものになってしまいます。
実は、それが やギ 自身なのです。気を付けないと。
人様の事は言えません。