ブログの大学生の読書離れですが、そもそも今の書店には、特にノンフィクション系なんかは、ワケがわからないビジネスのノウハウ書とか、自己啓発本とか、あと恋愛関係の心理学の本などといった「読むに値する価値が果たしてあるかよくわからない本」で溢れ返っています。
私は以前、自分が書いた小説を出版したくて、幻冬舎の出版説明会に行ったことがありますが、そこのスタッフの話によると、100万円の自己資金とそこそこ読めるだけの分量の原稿があれば、自分の本を出版して全国流通させることは可能だ、という話だったのです。もっとも私は当時、某出版社主催の小説部門の新人賞に何回か応募していて、どうもそこから幻冬社サイドのアンテナに引っ掛かったらしいのですが…。もちろん、フィクション・ノンフィクション問わず編集者による編集の手は必ず入る、とのことでした。自己資金がある会社社長や、ビジネス関係のコンサルタントなんかが簡単に本を出せる時代です。だからどうでもいい本で書店が溢れ返っているのかもしれません。
もともと私は親が国語の教師をやっていて、家の書棚には学校の図書室をしのぐ量の日本文学全集がある家庭に育ったので、本を読むのは小さい頃から好きでした。で、若い頃にたまたま思いついて、何編か自分で小説を書いてみたりして、新人賞に応募したり地元の文芸同人雑誌に投稿したりしていました。
国語力は色んな意味で大事だと思いますが、そもそも現代の作家や思想家(知識人)が後世に残るような本をかつてのように量産していたか、となると大いに疑問です。何か作家の方も、流行に乗せてドラマ化や映画化されればいい、みたいな落としどころを意識して、萎縮して大きな物語が書けてないような気がします。昭和の頃の三島由紀夫みたいな美意識を持った作風とか、寺山修司みたいな面白い視点で描く文体とか、あるいは太宰治みたいな諧謔にあふれた自分を道化として突き放す描写の文体とか、それを今再現できる書き手がいないような気がしてならないのです。
小説家がこんな状況だから、知識人や思想家はもっとお寒い状況だと思います。平成に入って、日本の思想家として名前が挙げられる人間って誰かいるのかな?と問いたいのですが(せいぜい竹田青嗣くらいしか浮かばないのですが…)。
知識人が論壇の世間におもねって言葉をちゃんと扱ってこなかったツケが、今の学生が本を読まない遠い原因のような気がします。だから小林よしのりという人間の思想が良くも悪くも注目されるのかもしれません。
例えば仮に『大東亜論』が全て完結した場合、これをベースにした大河ドラマなんかをNHKが作る可能性があります。そうなると、よしりん先生の思想がおぼっちゃまくんよりも広く、この日本に広がるんじゃないか、なんて妄想もしてみます。
小説家や思想家の中でも、よき物語の書き手が少なくなったな…とは思いますが。
長文失礼しました。