配信ありがとうございます。
個人主義が浸透してしまったことが「共同体はわずらわしい」みたいな風潮を生むと同時に、孤独に耐えきれなくなった人間をネットに走らせているような気もします。
個人で生きるためには、言い知れない孤独に耐える覚悟が必要です。個人で生きることそのものは決してかっこいいことでも何でもないのに、他人から干渉されない人生はかっこいい、みたいな風潮があるような気がします。ですが、日本人とは、たとえ個人で生きようと思っても共同体への信頼とか、共同体からの了解を必要とする民族なのではないのか、とも思います。だから圧倒的な強い個を持ってメディアで発言してる大沢あかねさんみたいな人を嫉妬で引きずり下ろしたがるのかもしれません。ネットで「個人の意見だ」って思っていてもネットの中の世間体から抜けられない、みたいなジレンマを抱えてる人が多い気がします。
世間体には共同体を安定させる側面がある反面、個人の意見を潰すという二面性があると思います。だからそのネットでシッターを捜して預けて子供を死なせた母親は、生身の世間体を信頼できなくてネットにすがったのではないのか?とも思われます。片親で子供を育てることに世間的に何となく疚しさを感じていたので生身の人間よりもネットにすがったのではないのか?とも思われるのです。山口の田舎の集落の放火殺人事件もそうですが、もう少し、日本人が個人と世間の距離感を適切に取れれば防げた事件だし、日本の社会思想がこの問題に対して有効な回答を出せなかったのも大きな問題なのかもしれません。
今回の事件で、この問題について有効な意見を出せた知識人はいたのでしょうか?単に母親が悪いとかネット社会が悪いという問題ではなくて、個人と世間、個人と共同体のあり方について、有効な意見を出してる知識人は今のところいないような気がします。