コメント欄が私信塗れに成ってしまってますね、非常に申し訳ありませんが、
スルーは今回は非礼だと考えるので。
>ニセただしさん
先ず、多分ですが、ニセただしさん、私と間違えられて居たんだと思うのですよ、
それが少し申し訳無かったと反省して居ます、確かに私の以前からの考えと被るんですよね。
しかし、やはり色々手を替え品を替えとやってみたんですが、気持ちが通じる事は無いのだとつくづく思い知らせたんですよね。
其処で今回のゴー宣と交えて考察して見ました。
やはり知らず知らずのウチに自分の中でも、ネットのやり取りが上位に来て居る事を痛感したんですよね。
自分自身は「ネットなんぞ、利便性の高い、しかし、それ故破綻も早い、脆弱性の高いツールだ」と言う思いが強いと勝手に思い込んで居た筈なのにです。
社会的弱者?と言われる方々で有っても今のインフラ・生活基盤の中で暮らして居る以上は、
生活困窮者に比べたら、非常に恵まれて居るのでは?と考えて居たんですよね。
しかし、諫議大夫さんが上で書かれて居た様に、
「見えない部分での苦しみを胸に秘めて戦ってる方々」に対しての「思いやり・配慮」に掛けて居るのかも知れないとも考えたのです。
しかし、自分のアプローチは変えられない、だからウザく鬱陶しく思われても、心の其処から嫌われ者に成っても、
トコトンやろう、そう考えた次第なのです。
ネットが無くても何とか生きて行く、インフラや社会保障の脆弱さは、一昨年被災地に赴き、
この目で見て、被災者と邂逅して、思い知らされたんですよ、
しかし、皆さん強く明るく生きて居られる、凄え!と感動したんですよね。
そして私の中では別の思いがムクムクと芽生えて来たんですよ「負けられない!」ってね。
自然災害の責任に転化は出来ない、何時なんどきこの様な地獄絵図がまた起こるとも限らない、
私らは生きている限りは戦わないと行けないんです、それはどんなカタチで有ろうとも。
ゴー宣は何時も何時でも、私らにそれを教えてくれます、別のイシューでは無い、全てが繋がって居ます、
点では無く、線なんですよね。
仕事に追われ、生活に追われながらでも、ヒントは散りばめられて居ると思うのですよ、そして、それは普段の自身の生活の中でしか思いつかない、
そして結びつかないと思うからです。其処から知識と経験を融合させ「知恵・叡智」にして行かないといかんと常に思うのです。
それをまた次代に伝える、その為には、やっぱり一歩づつ進んで行くしか無いのだと考えるのです。
まあ、私の場合は3歩下がるんですが(笑)それじゃダメじゃんw
いや、またウザいコメントは出禁に成らない限りは…暇が有りましたら(o^^o)