丑三 やギ の削除コメント


>>159 いしひろ19 さん

今の日本に、また、人として生きるにおいて、非常に大切な点を提示されておられます。

>>160
&ーナッツ
>>161 Dr.うさぎ さん

>>171 Richard Tiger さんも、分かっていらしゃいます。本当は、言葉にしなくても良い状態なのですね。

これについての説明は、Dr.うさぎ さんのもので充分です。これ以上、言いようが有るかな?後は、言及アプローチの仕方が変わるだけではないでしょうか。己も、これに続きます。

利己、物質的なもの、名利資産肩書き、偏差値成績、流行にはまっているか等の目盛りなど、己を装飾するものばかりに目が眩んでいては、皇室を敬愛する価値は失われて行くばかりです。

本来、価値付け、あらゆる価値を生み出す、価値の主体である人間が、自らの精神を崇高にしたい目的を失えば、全ての価値は俗化軽薄なものになるか失われます。つまり、人に価値が置かれなくなります。

人に価値を置くなら、人が人として生き、真の生きがいに充足したいはずです。

それには自己を見て、他己を見て、比べながら自己を昇華させて行く方法が一般的です。茶碗は、他の茶碗と見比べて、初めて価値の優劣が分かります。たくさん比べれば比べるほど価値の高度が分かってきます。

これと同じです。価値は比べないと分からない性質です。偏向した見方から、真の価値は分かりません。まして人の価値は、更に分かりません。注意すべきなのは、比べるに価値を置くのでは無く、それによって己を昇華する、資本手本にする事です。

浮世の苦労から人は名利栄達に価値を置きやすいです。しかし、人としての心が残っているなら、己を律する事に心を回します。

皇室は、人の律するに御手本とすべきで優れていると思います。陛下皇室の方々には申し訳が有りませんが、浮世の苦労で無く、自由な人の俗情を抑えて頂き、人としての生き方に専念して律する生活を見せて頂く事は、この上無い仕合わせです。

まさに鑑=鏡である訳です。神話からの歴史的から言って、この島国の権威として、これ以上は無いです。また、鏡の方法は、人が己の価値を上げる方法です。これを忘れて、我利のみに動いてはならないです。

だからこそ、皇室には敬意を払わなければならず、人権を制限して頂いている以上、大切にしなければならない存在です。決して、して頂いている以上の煩わしい思いをさせてはなりません。この都度の誹謗中傷の嵐は、身の程を弁えない下賤の仕業のみとしか言えません。

陛下皇室を見て、国民が生き方とするなら、陛下皇室は、恐れながら自然に国民とひとつとなり、国民は皇室陛下とひとつになります。外的に個別では有っても、内的、精神的に一体となります。

また、国民の心が一緒に皇室を見るなら、社会的に国民同士は統合して行きます。国民個別の性質は異にする部分は有っても、受け入れを拒まず、大同小異となり、決定的な分裂は抑えられます。これは、社会の和になります。

憲法の象徴の語句を条文としてだけで見ると機械的に感じますが、憲法以下、あらゆる法律は、人の精神の言文化で有るのですから、憲法に書き込まれている「国民の象徴」には、陛下に内在する国民性が現れています。逆に言えば、国民に陛下は内在していると言えます。

但し、日本人が日本に愛着を感じ、日本を正しく評価し、皇室に敬愛、愛着を感じなければ、全ては画餅に帰します。その時、日本性は大きく損なわれます。

つまり、これは知識としてでは無く、受け継ぎ、育まれた心が如何なるものかにかかってきます。そこで、分からぬ者に教えてどうなるものでは無い所が、大変難しい問題です。

どのように(日本で)育つかですね。両親、家族親族、地域や、学校での関わり合い、つまり心の関わり合い、そして影も形も無かった自分が、人としての生を受け、息をして目の前に広がる世界に愛着を感じ、例え不遇でも、日本人として生まれ、生きている事が良かったと感じていなければ、いくら説明しても、分からない者は絶対に分からないし、提案された内実を軽んじられてしまいます。

日本人として己が在るのが良かったと思うようになるのは、日本の文化=歴史の繋がりに親しみが持てるかです。

男系固執は皇室の価値を知らず、皇室を男優位の象徴に価値を置きかえる、実に軽薄下賤な考えです。天皇の国民性、国民の天皇" 性 " を取り上げようとする盗人根性です。また、皇室を全体主義の道具に使うのも皇室価値への損害罪です。

補足
日本国の象徴はもとい、法の精神を破壊する歪な解釈、脱法行為、アベらの仕業は目に余ります。叩き潰すべきです。

価値の昇華は、比べるに有りとしました。しかし逆に『価値の主体たる自己』『価値の主体とすべき他己』に「専心して」人間的価値の昇華をする行じ方が有ります。陛下の行じ方でも有ります。これらは、主に宗教的生活に現れます。本来は、俗を捨て、聖りに走り、発心の高士と逢いまみえなければ出会えない貴重な事です。家を出ずして俗世で御逢い出来る幸運を喜ぶべきです。他は、注意すべき点を含めると混雑しますので機会を別にします。

皇室は、神道の強制ではないかとの論は、よく聞かれる所です。しかし、宗教の自由が有る以上、国民に神道は強制されていません。皇室家庭の宗旨が神道(昔は仏教も)で有るだけです。人のうちの宗派に因縁付けるのは、どうかと思います。

宗教とは別に、皇室を見て、御手本の心が起こるのは、仮に生活思想と名付けています。宗教に関わらず、初参りに神社へ行く、また、そこはお寺だったりもします。同時に、クリスマスやハロウィンもします。よしりん先生の言われる慣例的ものと思います。

同じように、皇室は日本なるものと一体と捉えて良いと思います。


>>176
チコリさんのコメント [合い] しゅちう。

>>177
やっぱ「気高く」がいいな。

しかし、高森先生も口頭のものを余り細かく突いても理不尽と思います。己に、正確な言葉遣いが急に可能かと思うと全く自信は有りません。言葉選びについては、小室さま夫妻の会見の言葉尻をあげつらっている者らと同じ気がして出来ません。

それは、分かっておられた上での感想ですよね。堪忍しゅちくやしゃい。

日時
2021-10-29 14:08
投稿者
丑三 やギ
記事
「NHKが伝えなかった米ワクチン接種後副反応報告」小林よしのりライジング Vol.414
No.
181