ライジング ゴー宣だけ(今は)読みました。
何故なら前号で、くらたまポンポコリンの発言に絡んだ急先鋒と言うか、ライジングコメント欄で、声高にした一匹だったからです。
詳細は、前号のライジングコメント
No 161 No 163 No 166
で書きましたので御読みください。
御批判を仰ぎます。
これらは、前号のコメント欄の一番最後の方に在り、纏まっているので見付けやすいです。他の事も書いて有りますので、随分と長くなっています。御容赦ください。要らぬ部分は飛ばしてください。
楊井氏への批判は、ライジングコメントから転載の形でブログに載りました。
くらたま氏については載っていません。オドレラ正気か!?でも言及されませんでした。
今回のライジングについて、よしりん先生は、休載で、笹先生に原稿は委ねるとされました。しかし一筆、書く事が出来たと仰っていましたので、くらたま氏について書くのだろうなと予想をしていました。そこで、後出しジャンケンは、や!なので、ギリギリですけれども、更新日になって、コメントを間に合わせました。
前々号で、くらたま氏のポンポコリンについて評を書きましたら、青ネギさんに、これは批判では無く、個人の内面を侵害した攻撃、制裁(虐め誹謗中傷と相似)の人格否定と御指摘が有りました。
本来は上に示したコメントを読んで頂くのが一番です。ここで大凡を約せば、やギ は、くらたま氏のポンポコリンについて、タイミング的に御二人のバッシングの火に油を注いだと極めました。
まい、事実上のバッシングとした訳です。この考えは変わってはいません。タイミングがバッシングと極める条件になっているのに御留意ください。
そして、ふざけながらも、くらたまポンポコリンをなじってやりましたです。これも大方、的を外したとは思っていません。
更に、この やギ が、大嫌いな攻撃、制裁(虐め誹謗中傷)をしたとは、思い当たる節は無いので、それは論理を以て、上のコメント内で否定させて頂きました。
大変な偏見による屈辱、侮辱です。これは、青ネギさんの心得違いで有ると新ためて釘を刺させて頂きます。しかし、不愉快の感は有りません。
また、くらたまポンポコリンに「印象」を述べて批評してよかとされるなら、やギ も、くらたま ポンポコリンの舌禍による商品の影響について「印象」を述べて批評してよかで有るはずです。何処が、攻撃、制裁になるんか。でも、腹かいていません。
青ネギさんの主張の核は、よしりん先生と同じでした。しかし、この理を既に己は認めています。くらたま氏は、ポンポコリンでも発言をする自由は有るでしょう。ポンポコリンでも。
この理に因縁を付けるとすれば、ポンポコリンの発言は、激しいバッシングの中での小室さま夫妻の会見の直後だと言う事が考慮から外れています。
けれども、これに矛盾を感じません。何故なら、個人の人権自由は『激しいバッシングの中での小室さま夫妻の会見の直後』と言う状況を必要としない理だからです。
小室さま夫妻への激しいバッシングが無ければ、やギ も、こんなに クらたま氏の放言に敏感にならず、くらたま氏に、青ネギさんの言う所の因縁を付けていたかどうか分かりません。
しかし『激しいバッシングの中での小室さま夫妻の会見の直後』の状況を鑑みれば、つまり、あのタイミングでポンポコリンの発言をするなら、誹謗中傷に加担したとしか言えません。
ここで、くらたま氏の権利を拡大視する弊害が生じます。楊井氏やなぁと同じ弊害です。
楊井氏は、コロナデマによる人命苦を理解せず、あさっての自由権利に没していました。コロナ論どころか、己がコロナデマの現在進行形議論に参加しながら、前半から後半半ばまでの議論を聞いても、喫緊な人命危機を理解しません。
人の苦の何処を一体見ているのか。
これは、くらたま氏も同じです。
くらたま氏が、バッシングしたかどうかの問題の一番注目すべき核は、くらたま氏がポンポコリンの発言を『時に関係無く』行使する権利によって、小室さま夫妻の安寧の権利が侵害された事です。侵害されたでは問題が有るなら、損なわれたと言うべきでしょうか。
これでは、公共の利益の権利によって、ほぼ際限無く、人権が制限されて行く事について静観すべしとの考え然るべしになります。
同類の例では、虐めでは被害者の権利では無く、加害者の権利が尊重されます。学校行政も、その加害者を匿い、己の保身の為に、残留する他、全生徒の安寧権利を盾に、学内調査や学内情報の開示妨害して、己の評価を下げる不祥事の隠蔽を成し遂げます。
その他の犯罪でも、被害者の損失は どかされ、加害者の権利が尊重される例は、よく見る所です。この理不尽に、法を変えての被害者の心の叫びは痛いです。
気ちのいな世界です。
一方の権利に偏ると、もう一方の権利が侵害されるのです。これは、個人の権利は認め無いでは有りません。こんな事は、よしりん先生は、とっくに認識済みでしょう。
(だから、己の盲点についての反論が怖い。天下のよしりんに逆らいっ事だなんて、確実に〆殺される。助けてー)
脱線を戻します。
己は、くらたまポンポコリンの権利より、何年も苦しんで来た小室さま夫妻の権利を重視します。そうで無ければ、余りにも不公平だ。御二人の苦しんで来た道のりが報われません。
我々は楊井氏や、くらたま氏が御執心の、あさっての権利を重視する余り、毒ワクチンで苦しむ沢山の人たち、過激なバッシングで苦しむ小室さま夫妻を見殺すのを是とするのでしょうか。
己は錯乱した権利を求める楊井氏はどうでもよいです。くらたま氏がポンポコリンの舌を回し、食い扶持の足しにする権利など知りません。勝手にしてよいです。ただ、人の迷惑になるなと言いたい。
まず、苦しむ人の権利を優先したい。
苦に喘ぐ人の権利を横にして、何が個人の権利と言うか。そんな権利は疫病神の懐にでもしまっとけです。こんなの知らん、二つの権利の平等など、どうでもよいです。
ここにおいて、くらたま氏の言動の実質がバッシングかどうかの判断など無意味です。まさに空気を見ない くらたまポンポコリンによって、小室さま夫妻への誹謗中種の炎上に燃料が加えられた事実だけで、なじってやるに充分です。
なのに、個人の権利が守られるべきの理を以って、くらたまポンポコリンの擁護をしなければならない事は、極めて無念で有ります。
しかし今でも、くらたまポンポコリンの楽天の脳天気、お気楽で緊張感無く御二人を評したヘラヘラ言動が、下賤どもの舌の甘露となった事に腹をかいています。
かば焼きの日は
(雅子さまがパレード中に「天皇制反対」を叫んで爆弾を投げる漫画)に
被害者はいませんでした。
そして、漫画の内容に被害の発生する余地は有りませんでした。陛下、皇族方が天皇制に反対する権利の有る事を当時より得心しています。